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| 宇田川幸洋 プロフィール |
1950年、東京生まれ。香港映画を筆頭に多彩なジャンルに造詣が深い映画評論家。主な著書に、『無限地帯―from
Shirley Temple to Shaolin Temple』(ワイズ出版)、『キン・フー武侠電影作法』(共著・草思社)、『ジョン・ウー/フィルム・メーカーズ12』(責任編集・キネマ旬報社)など。現在、『ロードショー』『花椿』などに連載中。
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宇田川幸洋 こんにちは、宇田川幸洋ともうします。今日はこの『楽日』の中での主役の一人といってもいい、キン・フー監督の『龍門客棧』という映画について主にお話したいと思います。アジアの映画に関心を持っていらっしゃる方にとっては、キン・フー(胡金銓)監督は有名だと思うんですが、監督の映画の特集上映が盛んに行われていたのがもう十年ぐらい前になります。この『龍門客棧』も95年に東京国際映画祭で上映されたことがありますが、その時はキン・フー監督自身もほかのお客さんたちと一緒にご覧になってたんです。監督自身三十年ぶりぐらいに映画を見て「エキストラの中に全然動いていない奴がいることを発見した」なんておっしゃっていましたね。ちょうどその頃、山田宏一さんとぼくがキン・フー監督にインタビューをする機会がありまして、『龍門客棧』についてもいろいろとお話を伺いました。
この『龍門客棧』という映画は中国語映画の歴史の中でも特筆されるべきものだと思います。1967年の作品なんですが、その頃はまだ台湾映画というものは産業として盛んではなかったんです。60年代に入って台湾では政府関係の撮影所から優れた作品が作られ始めるんですが、民間の映画会社はまだ盛んではなかったんです。台湾は第二次大戦が終わるまでの50年間日本の統治下にあったので、独自の映画産業が発達しなかった。それが、戦後、50年代から映画が作られ始めたんですが、それでもまだ民間では盛んではなかったんです。
そのような状態の中で、66年に香港でキン・フー監督の『大酔侠』という武侠映画が作られました。これは今DVDにもなっていますが、新しいスタイルの武侠映画として大ヒットし、その後武侠映画ブームが起こりました。そのキン・フー監督を台湾に招いたのが、聯邦電影公司という会社でした。その会社はそれまでは配給しかやっていなかったんですが、新しく製作会社をたち上げてキン・フー監督を呼んだ。そして初めて作った映画がこの『龍門客棧』であり、この映画は全く一から作られた映画なんですね。ミャオ・ティエン(苗天)以外の役者も、シー・チュン(石雋)、シャンクアン・リンフン(上官霊鳳)を含めみんなオーディションで入ってきた素人だったんです。撮影所の施設も新しく作って、彼らを数ヶ月間演技訓練した。そのような全くのゼロの状態から作られたのがこの『龍門客棧』だったわけなんですね。監督自身が当時30代半ばで非常にエネルギッシュで働き盛りだったからできたことであり、キン・フー監督は信じられないようなエネルギーを監督としてこの作品に注いだと思います。
このような、撮影所のたち上げからの作品作りというフィジカルな面と同時に、当時の社会的な背景もこの『龍門客棧』という映画からは見てとれます。この映画が作られたのは、文化大革命がはじまった直後でした。『楽日』の冒頭でも出てきますが、この『龍門客棧』の中には「東廠」と「錦衣衛」という明朝時代の秘密警察が出てきます。この映画以降、武侠映画では明朝時代の秘密警察が頻繁に出てくるようになるんですが、この秘密警察を初めて映画の中で扱ったのが『龍門客棧』なんです。なぜ映画の中でこの二つの秘密警察を出したのかということをキン・フー監督に伺ったことがあります。文化大革命のきっかけとなった戯曲を書いた劇作家の呉ヨという人が明朝時代についての研究をされていた。そして彼は、「東廠」についても研究していたそうなんです。そのことが影響しているとおっしゃっていました。当時は、「東廠」についての研究自体が、共産党を皮肉っているようにとられていたということもおっしゃっていましたね。
そのような監督自身の知的関心からもこの『龍門客棧』という映画は出発しています。この作品の中の衣裳にも、監督の知的好奇心は表れています。できたばかりの撮影所ですから、監督が衣裳を一から作られたんですね。実際に台湾の故宮博物館に足を運び、展示されている明朝時代の行列の絵を参考にして役者の衣裳を作られたそうです。まさに一つのジャンルをそこでたち上げてしまったような映画だったわけです。もちろん映画の評価も高かったわけですけれど、それ以上にこの映画の東南アジア一帯でのヒットはすごかった、空前の大ヒットでした。
一方、日本では68年に『血斗龍門の宿』として北海道限定の二本立て映画として封切られただけで、全然知られていなかったんです。その後、ブルース・リーの出現で日本でドラゴン・ブームが起こった時に、頭に「残酷ドラゴン」というのをくっつけて『残酷ドラゴン 血斗竜門の宿』という名前に変えて日本でも、もう一回公開し直しています。その頃、ぼくも少しはドラゴン映画というものを見ていたんですが、しかしながらこの映画には全く気が付きませんでした。アジア映画の情報が溢れている今とは全く違って、ブルース・リーが出てきた70年代初めは、どういう作品が香港にあるのか全く分からないという状況でした。その頃はまだ、東南アジアの流行と日本の流行との間には大きな壁がありました。
この『龍門客棧』という映画は、日本以外の中国語映画を受け入れる地域では非常に大ヒットした作品だったわけです。また、映画の中でミャオ・ティエンの隣に座っている小さな子供と同じような感じで、ツァイ・ミンリャン監督自身もおじいさんに手を引かれてよく映画館に行っていたという幼児体験があると語っていました。この『龍門客棧』が公開された67年当時、監督は10歳ぐらいですから映画の中よりも実際にはもっと大きかったと思いますが、おじいさんと一緒にこの『龍門客棧』を見た、本当に懐かしい作品だったんだと思います。映画の中の『龍門客棧』というのは、日本映画で言えば『七人の侍』あたりを上映している感じを想像していただければいいかと思います。勇ましい音楽の感じ、昔ながらの映画館の中でガーンと響いて廊下に漏れ聞こえてくるあの感じも、勇壮なチャンバラ映画だからこその効果だと思います。まだ『龍門客棧』をご覧になっておられない方は是非一度ご覧になっていただきたいと思います。また、9年前に山田宏一さんと一緒にキン・フー監督とのインタビュー集『キン・フー武侠電影作法』を出しましたので、『龍門客棧』について、キン・フー監督についてもっと知りたいと思われた方はお買い求めいただければと思います。それではぼくの話はこの辺にさせていただきまして、三田村さんに入っていただきます。
三田村恭伸 はじめまして、先ほどご覧になっていただきました『楽日』の中で、一人の日本人の旅人として出ている三田村です。この『龍門客棧』という映画、英語のタイトルは〈Dragon
inn〉で、本当は「Dragon Gate Inn」のはずですよね。
宇田川 そうですね、龍門ですから本来は「Dragon
Gate Inn」になるはずなんですけど、翻訳の過程で〈Dragon
Inn〉になってしまったみたいですね。
三田村 でもなんか、自分としては〈Dragon Inn〉の方がしっくりくるんですよ。というのも、『楽日』の英語のタイトルは〈Goodbye,
Dragon Inn〉というタイトルで、『楽日』という映画自体がまさに〈Dragon
Inn〉をもう一回リスペクトして、もう一回復活する意味を持った映画なんです。このシンプルで地味な『楽日』の中で、この『龍門客棧』という花が咲いているような感じで、とても感慨深い映画です。この『龍門客棧』という映画との出会いは、一昨年前になります。今や世界的な監督であるアン・リー監督がニューヨークの映画館でこの『楽日』をご覧になってすごく気に入って下さり、アン・リー監督が音頭を取って『龍門客棧』の中のシャンクアン・リンフンなどの役者さん『楽日』の役者さん、私もリー・カンションもチェン・シャンチーもみんな集まる機会があったんです。台湾の南の街で、映画のバトンタッチをする儀式があったんです。今思い出しても、それはすごく貴重な一瞬だったと思いますね。『龍門客棧』の中の役者さんたちは、今はもうお年を召されているんですが、やっぱりすごいパワーを持っているんですね。僕たちには、そのパワーを受け継いで『楽日』の中で息を吹き返させないといけないっていう使命があったんです。日本でこの『龍門客棧』が『楽日』と一緒にもっともっとみなさんに知っていただきたいと思います。
宇田川 今、お話聞いてびっくりしたんですが、シャンクアン・リンフンさんは今どうしてらっしゃるんですか。
三田村 現在はわからないんですが、その時だけお会いしたんです、もう女優はやっておられませんでした。ニューヨークの方に住んでらっしゃるみたいでしたよ。
宇田川 そうですか、もう50代後半ですかね。
三田村 そうですね、そのくらいになりますよね。そして、映画とは離れた生活をしているみたいですね。彼らにお会いして、バトンタッチできたことは、すごくよい機会だったと思います。
宇田川 アン・リー監督といえば、『グリーン・デスティニー』で武侠映画を撮っていますけれども、あれは本当にキン・フー監督の『侠女』を非常にリスペクトしている作品だと思いますね。
三田村 そう思います。この会が行われたのも、アン・リー監督自身が『龍門客棧』が大好きで、そして『楽日』も両方好きだったからですし。
宇田川 その会にはほかにどんな方が出てらしたんですか。シー・チュンさんも出ていらしたんですか。
三田村 そうです。ミャオ・ティエンはもう亡くなってしまったんですが、会が行われた時は元気でしたので、彼も出てました。彼はまさに〈Dragon
Inn〉で大きく羽ばたかれて、〈Goodbye,
Dragon
Inn〉で閉じた役者人生だったんですね。彼の役者人生を知っていただくうえでも、『龍門客棧』を是非みなさんに知っていただきたいと思います。
宇田川 ツァイ・ミンリャン監督はミャオ・ティエンをシャオカンの父親役で映画に何度も出演させているわけなんですが、ミャオ・ティエンという人がとても好きだったみたいですね。、彼はツァイ・ミンリャン監督の映画に出る以前は暫く役者をやめていたんですよね。『龍門客棧』の後、いろんな時代劇の悪役をやってらした頃、悪役時代のミャオ・ティエンが監督は本当に好きみたいですね。そういう話についてはツァイ・ミンリャン監督から何か聞いてますか。
三田村 ツァイ・ミンリャン監督のデビュー作『青春神話』の時にはもう、映画のパートナーとしてミャオ・ティエンとずっと一緒に映画を作っていくということを決めていたようですね。
宇田川 この『龍門客棧』の時代のミャオ・ティエンがいかにエネルギッシュな演技をしていたか見てほしい、とツァイ・ミンリャン監督は言っていましたね。『楽日』の中で、『龍門客棧』のシーンはほとんど本来の時間の流れの通りに映されているんですが、一箇所だけ、わざわざ順番を入れ替えている場所があるんです。ミャオ・ティエンとシー・チュンが、つまり『楽日』の中にも出てくる二人の対決シーンだけは、『龍門客棧』の中では前半にあったシーンが、『楽日』の中では後半で使われている。今の二人と対比させてドラマティックに構成していますよね。
三田村 対決シーンを切り取っているシーンは『楽日』の命でもあるわけですから、どうしてもそこは外せなかったんでしょうね。すごく活躍していた若い頃の映画『龍門客棧』を眺める年老いた俳優という、非常にせつないような物語だったりもしますよね。でも、最後、映画館のロビーですれ違うところでは、まだまだこれから、という二人の強い気持ちが伝わってきます。だから、『楽日』自体が暗くて重い映画のように感じた方もいると思うんですが、すごくシンプルで前向きな映画でもあると思います。終わっていくことと始ることは繋がっていることを感じさせてくれる映画だと僕は思っています。またどこかで思い出した時に『楽日』をもう一度見ていただきたいと思っているんです。
宇田川 そうですね、この『楽日』という映画は何度でも見たくなる、思い出してまた見たくなる映画だと思いますね。ところで、三田村さんに聞きたかったことがあるんですが、最初にシー・チュンが座っている隣の席に擦り寄るように行きますよね、そのシーンについては何か監督から説明はありましたか。
三田村 実はこの映画の演技自体が、台本を読みながら自分で演技をしていくというものではなかったんですよ。どういう映画になるのか撮影中は分からなかったですし。ツァイ・ミンリャン監督が、思い描く姿を役者に手取り足取り伝えていくという、演技というものは全て排除したものだったんです。
宇田川 ということは、台本がなくて即興ということですね。
三田村 そうなんです。だから、どうしてにじり寄っていくのか全然分からない。後から映画を見てみると、人恋しかったんではないかなと思います。すごくエッチなシーンの気がします。
宇田川 では、シー・チュンという有名な俳優だということを認めて近寄っていったということではないんですね。
三田村 そうでしょうね。日本人の旅行者が何も知らないで劇場に迷い込んできてしまって、安らぎを求めて一人の老俳優のところに、老俳優ということも知らずに近寄っていったんだと思います。撮影している時は全くそんなことは考えませんでした。非常に厳しい演出だったんです。間の取り方も、角度も全てが監督が意図したもの。ツァイ・ミンリャン監督の過去の作品、及び『西瓜』に関しては、きっちりとした構成や台本をもとに撮っているんですが、この『楽日』だけはインスピレーションの映画なんですよね。何にも知らない状態にしておいて、役者さんを7名全員集めて浮かんだ画を撮っていく。絵画や写真集のような映画に感じてもらえると思います。今まで見たことのないジャンルの映画で、きっと戸惑いもあると思うんですが、これも映画なんです。それをみなさんに伝えたいですね。
宇田川 演技をしている時は、実際にスクリーンに『龍門客棧』を映写しながら、それを見ながら演技をしているんですか。
三田村 映画を見ながらやっています。そのまま再現して、それを撮っているんです。
宇田川 三田村さんが椅子に座っている時、後ろから足が出てくるシーンがありますよね。足が出てくるところがとても音楽と合っている、実際に音楽は映写しているまんまですか。
三田村 まんまです。それも、ツァイ・ミンリャン監督が仕組んだ、一瞬の狂いも許されない演出の一つです。足自体を出している方はスタッフなんですけれど(笑)。
宇田川 他にもいろいろお聞きしたいことはあるんですが、もう時間になってしまいました。今日はどうもありがとうございました。
三田村 この映画が生き延びていく為にはみなさんの力が本当に必要です。この『楽日』という映画は非常に地味な映画なんですが、その裏側にある魅力を周りの方に是非とも伝えてほしいんです。台湾映画全体の存続の使命も背負っていますので、どうぞよろしくお願いします。今日は本当にありがとうございました。
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