もっともっと蔡明亮!!
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◆亡き父に捧げる想い――『迷子』

―― リー・カンション監督にお聞きしたいのですが、『楽日』と『迷子』は別々に撮影を進めていたのですか?

 先に『楽日』を撮り終えてから、すぐに『迷子』の撮影をしました。

篠原 『迷子』にもミャオ・ティエンさんが出ていますが。

 ミャオ・ティエンさんは、ツァイ監督のなかでずっと父親役をしてくださっていました。ミャオ・ティエンさんのツァイ・ミンリャン作品のなかでの貢献というのは、アン・リー監督のロン・ションさんくらい重要なものでした。
 ミャオ・ティエンさんは、いつも僕に父のように接してくれました。僕も息子のような気持ちで接していました。そこで、僕の監督第一作目の『迷子』で父親のシンボルとして出ていただいたわけです。

 『迷子』を撮っていたとき、この映画は自分の父親に捧げる映画だという気持ちで撮りました。実は1997年ちょうど『台湾ソリチュード』と、『Hole』を撮っているときに、僕の父が病に倒れました。そのときに、すごく仕事が忙しかったので、僕は十分な世話をしてあげられませんでした。そのことがあって、父が亡くなってからずっと、申し訳ない思いにさいなまれていました。僕が『迷子』の作品を撮ったことで、僕は天国にいる父に伝えたいと思います。「もう大きくなったから心配しないで下さい。ずっと天国で見守っていてください」と。
 僕の父の生前の一番の願いは、孫をその手に抱くことでした。しかし、その望みは叶えられないまま、父は亡くなってしまいました。父の死後、2年経ってから、兄のところに子どもが生まれました。僕がこの『迷子』を撮ったのには、家庭の環境というのが関係あります。母は、兄の子の面倒をみるようになりました。ある日、母は、孫を連れて公園に行きましたが、すべり台で転んで頭にこぶを作る怪我をさせてしまいました。母は僕に打ち明けました「もしかして、兄から怒られるのではないか、もう自分はすっかり年老いてしまって、役に立たなくなってしまったのではないか、こんな小さな子どもの面倒さえ見られなくなって、こんなことで一体どうしよう」と。
 小さな子どもに、ちょっと怪我をさせてしまったくらいで、そういうわけですから、もし、公園で本当に大切な孫がいなくなってしまったら、一体どうなるだろう、というのがこの『迷子』のきっかけでした。ですから、僕がこのなかで描きたかったのは、人と人とのめぐり合わせと家族の愛ということです。
 僕の『迷子』のなかで、重要な人物はミャオ・ティエンさんと、ミャオ・ティエンさんに手をひかれている幼い男の子は、僕の本当の甥なんですね。そして、ルー・イーチンさんも、僕のためにやってくださいました。あとは、新人なんですが、チャン・チュアという男の子です。彼は、僕があるドラマに出ていたのを観て、いいなと思って起用しました。


◆夜桜すももの挑戦――『西瓜』

―― みなさま、どうでしょう! こんなに雄弁なリー・カンションさんを、初めて見たと思いませんか! さすがに監督になると違うものです(笑)!
 この2本『楽日』は昼興行、『迷子』はレイトショーで、同時期ユーロスペースで公開となります。リー・カンションさんは、『迷子』を監督した後、またまた主演男優として『西瓜』にご出演なさったわけですが、では! すももさん、体が冷えるといけませんから、そろそろ語っていただきましょうか。まさか映画の撮影だとは知らずに台湾まで行ったとお聞きしていますが。

夜桜 まさにそのとおりなんですけれども、今は引退しましたが、当時AV会社に所属しておりまして、ツァイ・ミンリャン監督からの依頼がありました。後から話を聞くと、1000人くらい書類を見たなかから選ばれたということだったんですが、AVを始めて間もない頃だったので、本当に選ばれてラッキーだったと思います。それでも、映画を撮るということは知らされていなくて、AVの仕事で台湾に行くと思っていて、脚本も見ないで行ったんですね。そしたら、現場に数十人のスタッフの方がいらっしゃって、そこで初めて映画を撮るっていうことを知ったんです。

―― AVの現場と映画の現場、人数も違ったと思うんですが、何が一番違いましたか?
たいへんだったことや、これは困ったということがあれば教えてください。

夜桜 私は日本語しかしゃべれないので、通訳さんを通して、会話をするという感じだったのですが、台詞は日本語で書いてあるので、それで演技をしていました。あとは、台湾の夏は、ものすごく暑いんです。カメラをまわすときは、空調の音が入ってしまうので、クーラーを切るんですね。演技をするというか、もうがむしゃらっていう感じでした。

―― ツァイ・ミンリャン監督がインタビューのなかで、『西瓜』が本物になったのは夜桜さんの力が非常に大きいと、夜桜さんのプロフェッショナリズムみたいなものに、役者もスタッフも驚かされてたいへん感化されて、こういう映画を作ることができたとおっしゃっていましたが、ツァイさん、夜桜さんは女優さんとしてどうですか?

 すももさんにまずお礼を申し上げたいと思います。撮影初日に、足の間に重い西瓜をはさむということをやってもらいました。皆さんご存知ないかもしれませんが、ご存知ない方はうちに帰ってやってみてください(笑)。とてもたいへんなことです。
 やはりこの映画のエロチックな雰囲気の映画作りというのは、すももさんが、この冒頭の西瓜のシーンを演じてくれた、ここから始まりました。そのシーンから、撮影がすべてうまく進むようになりました。私のキャメラマンは、わりと年のいった人だったのですが、なかなか裸と向き合うことに慣れていなかったのです。さきほどのシーンでも、足の間に西瓜を挟むわけですから、見えないから必ずしも下着を脱がなくてもいいのではないか、どうしようか、という相談をしているときに、すももさんは、その雰囲気を感じとって、さっとためらいもなくパンティを脱いでくれましたね。すももさんのプロフェッショナルな根性というのに、私達は本当に感動したわけですけれども、すももさんがそのときさらけだしてくれた生身の身体というものを見て、実際のところ、私たちは恐縮して、どうしたいいか困ってしまったのです。私たちが、家でこっそりとAVを見ているときと、本物の生身の身体を目の前にしたときは、やっぱり全然違います。
 そのとき、私はずっとこういうクリエイティブな仕事をしているつもりであっても、非常に不自由なところに囚われているのではないかと気付きました。このスクリーンという四角いフレームのなかで、知らず知らず大きな制限を自分に課してしまっているのではないだろうか、そうしたことを思いました。

 夜桜すももさんの演技を、リー・カンション、チェン・シャンチー、ルー・イーチンといった私の俳優たちに毎日きちんと見てもらいました。彼女のシーンは、私の俳優たちにはショックだったのです。演技とはなにか、リアリズムとはなにか、身体とはなにか、ということを皆深く考えさせられました。でも、聞くところによると、すももさんにもこのとき困ったことがあったんだということです。
それは、演技をすることに非常に戸惑いがあった。AV方面の演技はしていても、身体と関係のない演技をすることに慣れない部分があったかと思います。たとえば、気を失って倒れているシーンがありましたよね、そして、チェン・シャンチーが助けるシーンシーンが続くのですが、そこが、一番すももさんにとっては、難しかったようですね。そこの部分の撮影がうまく行かなかったので、私と、シャンチーとすももさん三人で話し合いましたね。そのときシャンチーがこう言いました。「すももさん、あなたは、このシーンでとても重要な役割であることを考えてみてください。私が演じているのはこの人物の心であり、魂です。すももさんが演じているのはこの人物の身体です。心と体が一体にならなければいけないのよ」と。
 このチェン・シャンチーの言葉があってから、すももさんは演技にすっと入っていけるようになりました。すももさんには演技の潜在能力があって、気を失って倒れている演技が自然にできるようになりました。このシーンを見た台湾の有名な舞踏家は、すももさんは素晴らしく演技がうまいですね、と言いました。

夜桜 台詞がなくて、寝ているシーンというのは、簡単のように思えるかもしれませんが、何十人もスタッフがいるなかで、はいスタート、と言われると、緊張してしまう部分もありました。それから、こっちに動いたらどうなんだろう、とかカメラの位置はどうなんだろうと、考えてしまって、とても難しかったんです。演技もしたことがなかったですし。でも、シャンチーさんからそういうことを言われて、私はもう演技というより、寝ているだけでいい、無我でいいんだ、とわかったんですね。そこから何テイクか撮ったんですが、よくなったと言われ、すごく嬉しかったですね。


◆「龍の鼻に上れ!」危険なミュージカル?!――『西瓜』

―― 特に『西瓜』の役者さんたちは、これまでにも増して、過酷な撮影だったと思うんですね。演じるということは、全てを監督に委ねるということだと思うんですが、リー・カンションさんは、これまでも大変な役を演じてこられましたが、この『西瓜』に関して、特にたいへんだったということはありますか?

 ツァイ監督の作品のなかで演技をするのは、毎回毎回たいへんです。この『西瓜』の役は、セックスをするマシーンになって、ひたすら動き続けなければならなかったわけです。とにかく動くということが重要で、演技をしているときは、頭で考えている余裕はありませんでした。監督のカットの声がかかって、はっと我にかえるという状況でした。この映画が、僕にとってよかったというのは、ほとんど服を着なくてよかったので、洋服代がかからなかったことです(笑)。
 自分でも驚いて新鮮だったのは、ミュージカルのシーンでした。特に貯水槽のなかで、歌うシーンがありますが、映画を見た人から、このシーンがよかったということをよく言われます。ツァイ監督のミュージカルシーンというのは、独特の雰囲気がありますので、みなさんよく味わってみてください。よろしくお願いします。

 この『西瓜』のミュージカルシーンでは5曲使いました。『Hole』はグレース・チャンでしたが、今回は60年代に流行った5人の歌手のものを使いました。そのうちのひとり、ウォン・チョンという台湾の人で、香港で歌手活動をしていた人がいますが、この人が、今何をしているか、歌手をやめた後の、その後の人生を知る人はいません。
この貯水槽でのリー・カンションの演技は60年代風の口の動きをしなければならず、しかも貯水槽のなかで歌うというのは、とても難しかったと思いますが、リー・カンションはとてもいい演技を見せてくれました。このシーンは皆に好まれまして、あのシーンを見たいがために、2回、3回と見にくる人もいたほどです。ある大学生は、あの歌を聴いて、本当に泣けたと言っていました。

―― 私もたまたま、高雄でミュージカルシーンを撮影しているところを見に行ったのですが、龍と虎のお寺で、西瓜の傘が閉じたり開いたり、というあのシーンですね、リー・カンションさんは、ワンピースを着せられて、ミュールを履かされて、「龍の鼻の上に登れ!」と監督に命令されていました。女性の方はご存知だと思いますが、ミュールっていうのは本当に足もとがおぼつかないですよね、そんな状態で、何メートルも高さのある龍の鼻の上に恐々のぼっていくわけですが、どう考えても危ないわけです。さすがに滑り落ちそうになって、そこでやっと初めて、監督から「脱いでよろしい!」と声がかかりました(笑)。それを見たときに、これは大変な現場だなと思いました。

―― さて、『西瓜』は三つのパートにわかれると思います。ひとつはミュージカルのシーン、ひとつは、AVのハードな身体のアクションの部分、もうひとつは、チェン・シャンチーとリー・カンションのかわいらしいといいますか、切ない、惹かれ合っていくふたりというパートなんです。個人的な感想になってしまいますが、私はリー・カンションさんがあんなに豊かな表情を見せたことがあっただろうか、もしかしたら、ちょっと惚れちゃうかもっていう、非常にかっこいい一瞬があるんですよね。それは、今までの映画のリー・カンションさんと明らかに違うという気がして、これは、一本ご自分で監督をされたからかな、と思うのですが、ご自身ではそういうことは考えていらっしゃらなかったですか?

 ……(しばし照れ笑い)俳優をやってから、監督をやるのはとても役に立ったし、監督をやってから、俳優に戻ると、監督としての苦労がよくわかりました。『西瓜』の撮影現場ではあるシーンを撮るために、トイレに閉じこもって自慰をしなければならないという状況がありました。ちょうど真夏の暑い時期で、クーラーもつけられませんから、みんないらいらしていたわけで、ドアの向こうの監督に「なんでこんなことをやらせるんだ!」と怒鳴ったことがあります。するとツァイ監督に「君も監督をやったことがあるんだから、そういうことを言うなよ」とたしなめられました。そういうこともありましたが、監督に対し、いろいろと演技のアイディアも出せるようになりましたし、監督をやってから、俳優をやると、もうひとりの監督に意見を言う権利ができたような気がします。

もっともっと蔡明亮!!
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