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◆皆さんの顔を見られて本当に嬉しい
―― 今日はこんなにたくさんの方々にお集まりいただいてありがとうございます。みなさん、三枚券をもう早々と買ってくださって、今日の日を楽しみにしてくださったと思います。それでは、そんな熱心なお客様に今日のゲストのみなさまから、まずは一言ずつご挨拶いただこうと思います。ツァイ・ミンリャン監督からよろしくお願いします。
蔡明亮 今日はこうやってファンのみなさんにお会いできて本当に嬉しく思います。この中には、これまでの顔なじみの方もいらっしゃいますし、初めてお会いする方たちもいらっしゃるようです。ぜひ、みなさん、早くすいか隊に入っていただいて応援してください。日本のより多くの観客のみなさんにこの三作品をみていただきたいと思います。今日は本当にこういう大きなイベントをしていただいて、それを機会にもっと私たちのファンを増やしていただければと思います。是非これからも応援していただきたいと思います。
―― ありがとうございました。それではリー・カンションさんですが、今日はなんと初監督作品『迷子』の監督としても来ていただきました。お願いします。
李康生 今日は本当に、ファンのみなさんにこうやってまたお会いすることができて、僕はとっても嬉しいです。今回の三作品では、『西瓜』と『楽日』には、僕が俳優として出ていて、『迷子』は、初めての監督作品です。ですから、僕の俳優としての一面も、監督としての作品も、ぜひ楽しんで見ていただきたいと思いますし、またみなさんを通じて、是非僕たちの映画を、どんどん宣伝していただいて、僕の第二作目が、順調に撮れるように応援していただけると嬉しいです。
―― はい、ありがとうございました。それではこちらにいらっしゃるおふたり、日本の役者さんです。まずは『楽日』のほとんど主演といってもいいと思うのですが、三田村恭伸さんお願いいたします。
三田村恭伸 はじめまして。『楽日』に出ている三田村恭伸です。よろしくお願いします。なんか今、ここからみるとこの派手なTシャツが、24時間テレビを思い出すくらいなんですけども(笑)、この『楽日』と『迷子』と『西瓜』をがんばって宣伝しながら、これから台湾映画、そしてツァイ監督、リー・カンション監督の映画が日本に入ってこられる窓口を作るのに、この3作品はすごく大事になってくると思います。皆さんで、いっしょに応援してほしいと思っています。よろしくお願いします。
―― ありがとうございました。そして、今日はこの華やかな衣装で来てくださいました『西瓜』の夜桜すももさんです。
夜桜すもも どうもはじめまして、夜桜すももです。今日はこんなに暑いなか、たくさんの方にお集まりいただいて、私もすごく嬉しく思っています。映画を見て、わからないことがあったとか、こんな疑問をもったとか、感じたこととか、みんなで話し合って盛り上がっていけたら光栄に思います。どうぞよろしくお願いします。
◆映画館に手招きされ――『楽日』
―― どうもありがとうございました。それでは今日は、この『楽日』、『迷子』、『西瓜』について、みなさんとたっぷりお話をしたいと思うのですが、最後には質疑応答の時間も少し長めに取ってありますのでどうぞみなさんお聞きになりたいことがあったらご用意くださいね。
それでは、お話に入る前に、まず皆さんにお聞きしたいことがあります。この『楽日』も『迷子』も『西瓜』もすでに、東京国際映画祭で上映されています。もしかしたらこの中に、かなりご覧になった方がいらっしゃるのではないかと思うのですが、まず『楽日』、「さらば、龍門客桟」というタイトルで三年前の東京国際映画祭で上映されたわけですが、ご覧になった方、ちょっと手をあげていただけますか?
(14〜5人の手が上がる)
なかなかチケットを取りにくかった上映と、みなさんがおっしゃってました。『迷子』はどうでしょうか? 上映時のタイトルは「不見」ですが、あ、けっこう一緒にご覧になっている感じですね。それでは、昨年の東京国際映画祭に出ました『西瓜』、「浮気雲」というタイトルで上映されましたけれどもこちらはいかがですか? そうですか、では、会場の1/3か1/4ぐらいの方は、もう映画祭でご覧になっているのですが、まだこれからということで楽しみになさっている方も多いようです。
では、そういうことで一作品ずつ、お話をうかがっていきたいと思います。まずは、『楽日』から。この映画を製作するきっかけというのが、普段のツァイ・ミンリャン監督の作品と違っているとお聞きしています。そのあたりから教えていただけますでしょうか?
蔡 この『楽日』を撮るときには、これまでの私の十数年来の映画監督生活の中で、一番リラックスして撮れた、本当に気楽に撮れた映画なんですね。この映画を撮っているときは、まるで映画を撮っているのではないかのような感じがしていました。私の幼い頃に通っていた映画館にいるような雰囲気で、その頃に戻って、映画館と対話をしているような感覚で撮ることができました。
なぜこの作品を撮ることになったかといいますと、大きなきっかけは2000年に『ふたつの時、ふたりの時間』を撮ったときに、その中で、シャオカンがある古い映画館に入っていくシーンがありましたね。そのシーンを撮る場所を探していたときに、偶然、『楽日』に出てくるあの映画館に出会ったことです。この古い映画館は、台北の郊外にある福和大戯院です。この映画館と出会ったことで、私は非常に大きな感動を覚えました。まるで本当に、仲の良かった昔の友達に会ったような気がしたのです。
実は、私はマレーシアで育ちましたけれども、昔よくこういう映画館に足を運んで、映画を見ていました。しかし、当時7、8軒あった、そういう古い映画館も、もうすっかりなくなってしまって、ビルになってしまいました。それは、私が台湾の大学にいた頃だったんですが、マレーシアに帰省したときに、そうした映画館がなくなってしまっていても、当時はそんなに惜しいとは思いませんでした。街が変化していくなかで、古い映画館がなくなっていくのも、自然な現象で、仕方のないことだと思っていました。
しかし、40歳くらいになると、よくこの古い映画館の夢を見るようになりました。それは、私が幼い頃に通っていた古い映画館の夢です。昔のことを夢にみるということは、少し年齢を重ねたからかな、という気もしますけれども、おそらくそれくらいの年齢になると、過去の記憶が、自分を呼び覚ますようになるわけです。
ですから私は、『ふたつの時、ふたりの時間』で使った古い映画館に出会ったとき、今はもう夢のなかでしか存在しない、かつての慣れ親しんだあの映画館が、現実によみがえったような気がして、まるで昔の友達に会ったような懐かしい思いがしたのです。
『ふたつの時、ふたりの時間』の撮影が終わった後、この福和大戯院の支配人に、「この映画館はもうすぐ閉めて、取り壊すことになります」と言われたとき、私はもうとにかく惜しいような気がして、何の計画があったわけでもないのに、半年間借り受けてしまおうと考えたわけです。
◆土砂降りの雨がつないだ縁――『楽日』』
―― そうして、なぜか日本からの旅人が登場して、その人がある種の道先案内人となってこの劇場の中をうろうろと紹介してくれているわけですが、三田村さんはどういうきっかけで映画に出演することになったのですか? そのエピソードというか、そのときに起きたことなどを教えてください。
三田村 きっかけは、台湾から一通のメールが来まして、「台湾に一ヶ月遊びに来ませんか」ということでした。そのメールを見る限りでは、ショートフィルムのイベントがあるからということだったのですが、何もわからないままとにかく台湾に行きました。それで、よくわからないまま、すぐ数日後に『楽日』の撮影が始まってしまったのです。何もかもがわからないうちに始まった『楽日』なんですけども、毎日夕方に集合して、朝撮影が終わって、また夕方に撮り始めるという繰り返しが始まって、数日経っていくうちに、なんだか自分に映画館のすごく大きな魂が入り込んでしまったように感じて、この毎日のサイクルを、映画館から出られないんじゃないかというくらいに繰り返して、恐ろしくなるような気持ちをもったこともありました。しかし、日にちが経って、撮影が終わりに近づく頃には、もうこの現場から離れたくない、ずっといられたらいいのにという気持ちでいっぱいでした。
最後のシーンの撮影の日、メイキャップの時には、メイクもできないくらいボロボロ涙が出てきて、なんだか巨大な迷宮映画館に取り憑かれてしまった気がします。今、もしも台湾に行けたら、その映画館に里帰りしたい気分なんだけれども、その映画館は今はもうありません。自分の記憶の中ではずっと、階段があったり、あの部屋があったりと存在しているんですが。私は映画館のいろんなところで必ず毎日迷子になっていたんですね。衣装の部屋にすら戻れなかったのです。それで、映画館のなかをひとりで移動するときは、必ず印をつけながら、チルチル・ミチルのような状態でいたようなこともありました(笑)。きっと映画を観てもらえばわかると思うんだけど、そういう迷宮の映画館は記憶の中でずっと生きていくと思います。
―― そもそも三田村さんはここにいらっしゃる皆さんのように、ツァイ・ミンリャン監督の映画のファンでいらっしゃって、それがどうしてか出演してしまうことになるんですが、そもそもツァイ・ミンリャン監督の映画との出会いというのはどういうところからだったんですか?
三田村 土砂降りの雨の日曜日に、三軒茶屋の街で、雨宿りをする場所をさがしていました。今もまだあるのかどうかちょっとわからないんですけども、古い映画館が正面に見えたんですね。それで、もうとにかく、そこに入らなきゃならないというような土砂降りの日だったんですね。ガラス越しのところに、“台湾映画三本立て特集”と書いてあって、それで、僕も当時、アジア映画に少し慣れてきた頃だったので、そこに入って映画を見ることにしたんです。それがツァイ・ミンリャン監督のデビュー作『青春神話』という映画だったんです。
今思うと、『楽日』の最初のオープニングのシーンで、土砂降りの雨の中に僕が演じる旅人が、雨宿りがてらに映画館にすっと入っていってしまって、映画館のなかに迷いこんでいくシーンとすごく同じでした。三軒茶屋にあったその映画館は、ほとんど一緒なんですよ、『楽日』に出てくる映画館と。こんなことがあるんだという鳥肌が立った記憶があります。
もしその日曜日に雨が降っていなかったり、土砂降りじゃなく、さっと帰れるような雨だったら、ツァイ監督と会うことは間違いなくなかったと思います。そしてこの『楽日』に出ることも、間違いなくなかったという風に思います。あの日曜日、土砂降りだったという偶然だとか、そういう不思議なものが絡まりあって今日、今この場所にいることが不思議でなりません。
―― 三田村さんはその後、映画の最後のクレジットに書いてある会社の名前をその場でメモって、それですぐ台湾に渡ったとお聞きしているんですが、ツァイ・ミンリャン監督はそのときお会いになってどうでしたか? 日本から突然訪ねてきたあなたのファンだという人に対して。
蔡 確かに三田村さんとお会いしましたけれども、本当に知り合うようになるまでには時間がかかりました。私たちのところに訪ねてきてからも、東京国際映画祭や、公開される映画の宣伝のために、私が東京に来る度に、彼の顔を最前列で見かけるようになったわけです。いつも最前列にいる三田村さんがとても印象に残ったわけです。彼は舞台俳優さんだということを、私は知っていましたけれども、まさか私の映画に出てもらうことになるとは、こういうファンがいるということは思いもかけないことでした。
この『楽日』に三田村さんに出てもらうようになったきっかけというのは、まずはその『楽日』の複雑な構造の古い映画館の案内役になる役柄の人が必要だったんです。本当はリー・カンションにその役をやってもらうはずだったんですが、ちょうどリー・カンションは自分の『迷子』の撮影でとても忙しい時期だったので、リー・カンションの方から三田村さんに演じてもらってはどうかという推薦がありまして、三田村さんに話したわけです。
私は人生であらゆることについて、映画を撮ることについても、無理やりに自分の気の進まないままに何かをするということは一切ありません。すべて自然の流れで、赴くままに人生を歩んでいるというような感じです。三田村さんとの出会いもそうですし、例えば『楽日』の中にかけている『龍門客棧』もそうです。
この監督は、キン・フーという監督ですが、これは11歳の時に私が映画館で見た作品なんです。そしてこの『龍門客棧』の中に出てくるミャオ・ティエンさんですが、ミャオ・ティエンさんの出演第一作がこの『龍門客棧』だったわけです。そしてこの『楽日』がミャオ・ティエンさんの遺作となったわけです。ですから本当に色々なものは縁が働いていると思います。各国の皆さんと私とは、そういう不思議なご縁があって、自らが無理をして色々とやるのではなくて、自然の流れで結びついているものだと思えます。私は運命というものを信じます。色々な年代、または色々な場所の違いは、一切関係なく繋がれているのだ、全ては運命によって定められているものだと思います。
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