もっともっと蔡明亮!!
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◆演技であって演技でない

野崎 だんだん怖い話になってきましたね(笑)。この映画の中に出てくる人物も現実離れしているように僕は感じました。みなさんご存知のように、ツァイ・ミンリャン映画の中ではセリフは削られていき、最低限しか出てこない。この『楽日』では、いよいよそれが研ぎ澄まされて、人間の動きだけで見せている。その不思議な動きの秘密はなんでしょうか。

三田村 演技自体が、演技であって演技でないんです。振り付けのように感じられるかもしれないですね。この映画の中では自由な演技というものはできなかったんです。全て監督の言われた通りに動かなければいけなかったんです。どんな場面においても、息の仕方から間の取り方に至るまで、監督がインスピレーションで浮かんだ動きを、僕たちがコピーするんですね。少しの角度も違えてはいけない。僕だけではなく、他のキャストも同じです。監督は能に興味を持ってまして、日本に来るたびに能舞台や狂言を見ていられて。呼吸や間の取り方において、能の影響を若干受けているのかもしれませんね。それが人間離れした動きに感じられるかもしれません。

野崎 この映画の中では、いわゆるドラマ的な演出というものを徹底的に嫌っている、そういうものでは表せないものに挑戦するんだ、という監督の意志がはっきりと表れていますよね。一方で、実際に演じられる側の気持ちとしてどういうものですか。自分が演じている人間は何を考えているのか、聞いてみたくなったりはしないんですか。

三田村 自分以外のキャストもみんな、黙ってツァイ・ミンリャン監督の言われた通りに動きますから、監督もやりやすかったのではないかと思います。

野崎 だからファミリー化しているのかもしれないですね。

三田村 今回の出演者の中には、テレビで非常に活躍されている方もいました。彼等には、テレビや映画で身に付けた演技というものがあって、それをまず捨てるところからこの映画の撮影は始ったんですね。それを一切なくさないと監督の求めている動きはできない、と。

野崎 この映画の撮影中悩まれたことってありましたか。映画を見て、三田村さんはほとんど主役と言ってよい役柄だと思いました。ツァイ・ミンリャンワールドの一員という気持ちははっきり持たれていたと思いますが、実際にこれだけ重要な役を演じられるとなると、戸惑いというものはありましたか。

三田村 悩むというよりは、この映画が始るということ自体が自分にとって驚きだったんです。何にも知らない状態で台湾に行って、その数日後には撮影という状態でした。明日から撮影という日、逃げて日本に帰ろうかと本当に思った瞬間があったんです。撮影期間お世話になるプロデューサーの家の地下、駐車場にいる時に。お金も少し持ってたし、このまま逃げて帰ってしまったら、そして彼等と一切連絡が取れないようにメール拒否したらこんな緊張もないまま過ごせるんじゃないか、と思ったことがありました。逃げるというチャンスを逃して撮影しているうちに、心地よい空間になっていってしまったんです。最後はこのまま時間が止まってほしいという思い、最初とは全く違う気持ちになっていましたね。

野崎 ちょっと常識離れしていますよね。映画に出すんなら言っとけよ、って感じですよね(笑)。
それでも、撮影しているうちにある種の心地よさというものが出てくるわけですか。

三田村 その時には劇場にとり付かれていたのかもしれないですね。そのままずっとこの劇場にいられたらいいな、という気持ちでした。


◆日本人の一ファンとして

野崎 観客として映画を見ていても、三田村さんがいなくなるとちょっと寂しい気持ちがするんですね。我々もこの映画館から出て行けと言われているような気がしてしまうからかもしれませんね。
最初に申し上げたように、今、日本の俳優がどんどんアジアに出ていっています。でも、本当に必然性のある使われ方をしている俳優はそんなに多くない気がするんです。企画として名前がいることもある。オフレコになるんですが、例えばウォン・カーウァイの『2046』には日本の大スターが出ていますが、どうもいまいち、演技がよくないなあという気がしてしまうわけですよ。あれだけ才能のある大スターで、テレビではとてもいいんだけれど、ウォン・カーウァイの画面に本当に生きてくる人間なのかという問題がありますよね。この間、監督の青山真治さんとお話する機会があった時にも、彼も同じようなことを言っていました。日本の恥、とかなんとか。つまりあえていわせてもらえば、三田村恭伸はキムタクを超えた(笑)。

三田村 自分としても重かったんですね。アジアではウォン・カーウァイ、ホウ・シャオシエン、エノワード・ヤン、そしてツァイ・ミンリャン。彼等は時が変われど、四天王と呼ばれる監督であるわけで、そして、それぞれの監督が最新作で日本人の役者を使われている。その中で、ツァイ・ミンリャン監督は無名の日本人を使ってしまうということはありえない話なんですが、そこがツァイ・ミンリャンらしさでもあると思うんですね。

野崎 ひねくれた目で見ると、逆にツァイ・ミンリャン監督は自分が発掘してきたということにこだわっているところがあるように思います。リー・カンションなんかまさにそうですよね、自分が街で見つけてきたんだ、とあえて言いたいところがあるんじゃないのか。三田村さんに対して、他に仕事が来ても断れ、なんておっしゃってるところはありませんか。
三田村 この映画自体に色々な取り決めがあったんです。まずは、記者会見では「自分は既成の俳優ではない」ということを言わなければいけない。一ファンとしての日本人がある日突然映画に出ることになった、ということを出さないといけない。「普通の人である」ということが決められていたんです。

野崎 なかなか腹黒いですね、ツァイ・ミンリャン監督は(笑)。

三田村 映画祭も、ヴェネチア映画祭には出ることができず、東京国際映画祭から参加させていただいたんです。

野崎 なるほど。でもそれが、逆に言うとツァイ・ミンリャンファミリーの証でもあるわけですよね。三田村さんとは今日初めてお会いするんですが、やっぱり映画同様、不思議な魔力を秘めた俳優さんだなと思わずにはいられません。一方、夜桜さんの場合はツァイ・ミンリャン映画に出演するというのは、どういう経緯だったんですか。あるいは、三田村さんのように騙された感じで連れて行かれたんですか(笑)。


◆断っていたかもしれない映画

夜桜 三田村さんと同じような感じですけれど(笑)。今はもうAVは引退したんですが、『西瓜』撮影当時はAV会社に所属していたんです。それも入って数ヶ月で、まだ間もない頃でした。私が所属していた会社以外の女の子も含めて、何千人という女の子の書類にツァイ・ミンリャン監督自身が見を通した結果、なぜか私が選ばれたという経緯ですね。

野崎 それもちょっと怖い感じがしますね(笑)。

夜桜 そうですね、全く素人で、AVの仕事を始めて間もない頃でしたし。

野崎 僕はAV業界には詳しくないので、その中の夜桜さんの位置というのが良く分からないんですが。失礼なことをうかがいますけれど、当時は無名だったんですか。

夜桜 はい、無名に程近い状態でした。

野崎 しかし、ツァイ・ミンリャン監督は夜桜さんの中に何かを嗅ぎつけられたということですかね。台湾に行かれる前にお会いしてはいなかったんですか。オーディションとかはなかったわけですか。

夜桜 書類に目を通しただけで、オーディションもなかったんです。まさかこんな大監督の作品に出るなんて思ってもいなくて、マネージャーからは台湾でAVの撮影をするとしか聞かされていなかったんです。私自身海外にも行った事がなくて、とりあえずパスポートを作りに行かないといけないという感じでしたね。

野崎 行ってみて初めて映画の事を知らされたということなんですね。脚本があるかどうか分かりませんけれど、映画についてだんだん分かってきたという感じですか。

夜桜 台北に着いた時はスタッフの方がわざわざ空港までお出迎えして下さってとても驚きました。そして、台湾はものすごく暑くて、まずその暑さに参ってしまいましたね。

野崎 AV業界というのは日本独特のものであって、東アジアの他の国々にとっては、ある意味非常に刺激的なものだと思うんです。パン・ホーチョン監督の作品に『AV』という作品があるんです。香港でAVを撮るから来てくれと、日本のAV女優さんを呼ぶというドラマなんですが、設定としては同じようなものですよね。

夜桜 そうですね。

野崎 こういう映画なんだと最初から分かっていたら行きにくかった、ということはあったと思いますか。

夜桜 断っていたかもしれないですね。ワケがわからずに行ったのが逆に良かったのかなと思います。

野崎 あらすじというものは先に聞いていたんですか。

夜桜 日本にいる時はあらすじというものは全く聞かされていなくて、初日に台本をいただきました。でも、台本といってもセリフのない映画ですから…。キャストと役柄が大まかに書いてあるという感じでした。

野崎 この映画もやはり、台詞のない境地に達していますよね。

夜桜 そうですね。監督がインスピレーションを受けて思ったことを「さぁ、やりましょう」と撮影していくという感じでしたね。

野崎 それは撮影現場で思ったことですか、それとも監督がじっくり考えてきたことなんですか。

夜桜 じっくり考えてきたことも、その場で思いついたこともあると思います。撮影を進めていくうちに加えていったこともあると思います。撮影現場でこうした方が面白いんじゃないか、ということもありますし。

野崎 この映画は監督にとっても大きな冒険だったと思うんです。日本から夜桜さんをお迎えしたはいいけれど、上手くいかない、相性が悪いということはいくらでもありえたはずですし。

夜桜 そうですね、書類だけにしか目を通していないわけで。業界でいう、サイズをごまかしたり年をごまかしたりとか、書類の上でのごまかしって何とでもできますよね。監督が想像していた人物とは全く違う人が行くかもしれないわけで。そうだったらどうしていたんだろう、って思っちゃいますよね。

野崎 三田村さんの場合もそうでしたが、夜桜さんの場合も映画の中で非常に重要な役ですよね。その重要な役を書類一枚で決めてしまっていいのか。何千枚という書類から選んだと言っても、書類は書類でしかない。

夜桜 それで決めちゃうところがまた、監督の偉大さなのかもしれないですよね。

野崎 そう考えるほかないですね。でも、プロデューサーからすると許されないことのようにも思うんです。撮影はどのシーンから始ったんですか。


◆股に挟まれた西瓜

夜桜 映画の冒頭の地下道を西瓜を持って歩くシーンは撮影最後の日に撮ったんです。撮影初日は西瓜を股の間に挟んでいるシーン、ちらしの裏面にも載っているシーンですね。

野崎 あの忘れがたい、大きなインパクトを与えるシーンですね。

夜桜 まさか西瓜を股の間に挟むなんて、それを撮影初日にするとは、って感じでしたね。

野崎 今までそんな経験なかったわけですよね。

夜桜 もちろん!そんな経験ないですよ(笑)。

野崎 僕は映画を見たあとに、実際に自分で股の間に挟んでみたんですよ。
(会場にどよめきと笑いが起きる)残念ながら、西瓜でやったのではなく、サッカーボールでやってみたんですけれど(笑)。
西瓜を挟むということは、できるのかもしれないけれど、かなり体が柔らかくないとうまくできないですね。そのコツが知りたくて。映画の中では、ある程度アクションがある中でも西瓜は全然ずれてないですよね。あれにはトリックはないんですか。

夜桜 トリックというものはないですね、そのまま乗せているだけです。西瓜をいじるシーンがありますよね。あれをやるたびに西瓜がずれてきて大変でした。

野崎 押されますもんね。やっぱり股で調節していたんですか。

夜桜 そうですね、それもワンテイクだけではないわけで。監督の求めているものと違ったり、うまくカメラのアングルに入ってこないことがあったりして、テイク数を何度も何度も重ねていくわけなので。

野崎 それは、いきなりすごい試練ですよね。

夜桜 はい。その上、非常に暑くて大変でしたね。

野崎 映画の設定と同じなんですね。どうして西瓜なのかという説明は監督からありましたか。

夜桜 説明という説明はないんですが、演技指導はしていただきました。

野崎 監督も西瓜を乗せてやってみせたということですか。

夜桜 乗せていましたね。

野崎 夜桜さんは、すぐに上手く西瓜を乗せられるようになりましたか。

夜桜 がむしゃらにやっていました。もうやるしかない状況に置かされていましたから(笑)。

野崎 そこをクリアしたから絶対的な信頼関係ができたのかなという気がしますね。

夜桜 それをやっちゃえば、気楽になりますよね。これ以上恥をさらす事もないだろうと。

野崎 スタッフさんたち、周りの雰囲気も変わったんじゃないんですか、そのシーンを突破したことで。

夜桜 そのように伺いました、監督自身も刺激を受けられたと。

野崎 最初の掴みのシーンで、股に挟まれた西瓜ですからね、みなさん、映画をご覧になったらびっくりしますよ。映画の中にのめり込んでいくか、あるいは「西瓜はもういらない」ってことになるか。それにしても、あのシーンの真っ二つに割れた西瓜は非常に鮮やかで釘付けになってしまう魅力を持っている。『西瓜』という映画は非常に力があるけれども、その力は単純さからきているともいえますよね。

夜桜 ツァイ・ミンリャン監督の他の作品と比べるとストーリー性はあると思うんですが。

野崎 三田村さんがおっしゃっていたように、この『西瓜』は一番分かりやすい映画かもしれない。この映画の単純さというものを三田村さんはどう見ていますか。
もっともっと蔡明亮!!
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