第一弾 蔡明亮と語る!中原昌也編
第二弾 蔡明亮と語る!諏訪敦彦編
第三弾蔡明亮語る蔡明亮倶楽部編
第四弾 蔡明亮を語る!瀬々敬久編 第五弾 蔡明亮を語る!西島秀俊編
第六弾 蔡明亮を語る!野崎歓編 第七弾 『楽日』を語る!諏訪敦彦編 第八弾『楽日』を語る宇田川幸洋編 第九弾『楽日』の楽日を語る三田村編 第十弾『西瓜』の初日を語る夜桜編

『楽日』『迷子』の公開を間近に控えた8月20日、遂にカウントダウン・トークショーも「楽日」を迎えました。
野崎歓さん、三田村恭伸さん、夜桜すももさんの鼎談では、「映画史に残る大傑作!」という野崎歓さんからの太鼓判もいただいて。あとはもう、実際に劇場で、自分の目でその大傑作を見るしかありません!

司会・進行 篠原弘子(プレノンアッシュ)  採録・構成プレノンアッシュ
もっと蔡明亮!
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野崎歓プロフィール
東京大学大学院助教授。専門はフランス近・現代文学、映画論、翻訳論。ジャン=フィリップ・トゥーサンなどフランスの作家の翻訳を多数手掛け、著書に、『ジャン・ルノワール 越境する映画』(サントリー学芸賞受賞)『谷崎潤一郎と異国の言語』などがある。アジア映画についても造詣が深く、2005年にニューウェイヴ以降の香港映画史の集大成『香港映画の街角』を上梓。最新刊『カミュ「よそもの」君の友だち』が今月発売された。




































































◆外からの目線、日本人の目線

野崎 みなさんようこそいらっしゃいました。司会をさせていただきます、野崎です。今日は三田村さん、夜桜さんをお招きしてツァイ・ミンリャンワールドの強烈な魔力についてたっぷりお話を伺わせていただきたいと思います。身近にツァイ・ミンリャン監督と接してこられたお二人から、いろいろなお話を聞かしていただけると思いますので、今から非常に楽しみにしております。最初に一言だけ余計なことを申し上げておきますと、この『楽日』『西瓜』『迷子』どれも本当に傑作です。『楽日』『西瓜』はそのまま映画史に残る大傑作だと思っておりますし、僕自身非常に熱狂しております。そもそも今まで僕はツァイ・ミンリャン監督の良さというものが実際はよく分かっていなかったんですね。ちょっと気持ち悪いなとか、暗いな、とかいうイメージがなかったわけではない。その思いが、この二本の映画を見てぶっ飛びました。今までツァイ・ミンリャン監督が目指してこられたことが改めて分かった気がしますし、ここまですごい監督だったんだということを知りました。本当にびっくりするような世界だと思うんです。ツァイ・ミンリャン監督は、台湾の監督としてホウ・シャオシエン監督・エドワード・ヤン監督に次ぐ知名度で、みなさん名前はご存知だと思うんです。でも考えてみると、ツァイ・ミンリャン監督は元々マレーシアの華僑出身で高校まではマレーシアにおられた。ある意味で台湾社会の外にいた人、一種の異邦人と言っていいかもしれません。今までは台湾では外省人・内省人という社会構造の中で映画が作られてきた。その外から来た監督がツァイ・ミンリャン監督だと思います。そういう外からの目線で映画を撮ってこられた監督だということが改めて分かりました。しかも嬉しいことに、『楽日』では三田村さん、『西瓜』では夜桜さんという日本人を起用することによって、そもそもとんでもなかったツァイ・ミンリャン監督の映画がますますすごいことになってしまっている。その点が僕らにとっては非常に嬉しいし、今、アジアではいろいろな映画のコラボレートがなされていますが、色んな例の中でも群を抜いてすごい結果が生まれている。そういう意味でも、映画史に残る、意味のある作品だと思っています。本当に一人でも多くの人に見てほしい。特に、今までツァイ・ミンリャン監督の映画が苦手だと思っていた人には猛烈に効く映画だと思います。以上を前置きとさせていただいて、さっそくお二人にお話をうかがっていきたいと思います。

三田村 今まで何度かトークショーをさせていただいてきたんですけれど、今日が最後、「楽日」なんですね。この『楽日』という映画は賛否分かれる映画です。難しい映画ではないか、公開できないのではないかという声を背にしながら来週の土曜日、8月26日にいよいよ公開されます。どう言葉にしてよいのか分からないような、今までみなさんがご覧になったことのない世界だと思います。アジア映画を好きな人も含めて、見たことのない世界。この映画の中には具体的な何かがあるわけではないんです。何にもないものがどう見てもらえるか、すごくそれを楽しみにしています。色々な意味に読み取ってもらえる映画だと思いますので、是非とも二回見ていただきたい。きっと全く違う印象を受けられると思うんですよね。

夜桜 『楽日』『迷子』と公開日が違うんですけれど、一生懸命スタッフと一緒に作ってきた映画『西瓜』は9月23日公開になります。今日来られていない人たちにも伝えていただいて、できるだけ多くの方に見ていただきたい映画ですので、どうぞよろしくお願いします。


雨が取り持った縁

野崎
 それではさっそくですが、まず一番知りたいと思うこと、お二人がツァイ・ミンリャン映画に出ることになった出会い、いきさつをお聞きしてよろしいでしょうか。三田村さんの場合はすでに、一種伝説化された事柄でもありますね。どうして自分がこの映画に映っているのか、そこのところを話していただけますか。

三田村 ツァイ・ミンリャン監督との出会いは十年ぐらい前にさかのぼります。土砂降りの日曜日、三軒茶屋の映画館でした。そこで雨宿りするしかないという感じで駆け込んだ映画館でたまたまツァイ・ミンリャン監督のデビュー作『青春神話』が上映されていたんです。その時、そこで、その映画と出会った瞬間、衝動的に「この監督と会わなければいけない」という気持ちになりました。それからすぐに台湾に行ったんです。そして、偶然や縁が重なって監督に会うことができたんです。それからずっと連絡を取り続けています。この『楽日』という作品は、一人の日本人が土砂降りの中、もうそこしかないという感じで映画館の中に駆け込んでいくところから始るんですが、これは、あの日あの時の僕にとても近い。雨の日曜日、三軒茶屋の映画館に僕が駆け込んでいった時と。何かの縁を感じていまうんですね。図々しい話ですが、運命に誘われるようにして自然と、『楽日』の中で映画館に飛び込んでいく日本人を演じることになったように感じています。

野崎 ツァイ・ミンリャン監督の映画の中には「土砂降り」がよく出てきますよね。三田村さんがツァイ・ミンリャン監督と出会うきっかけとなった映画『青春神話』を見るときには、既に監督のことはご存知だったんですか。

三田村 全く知りませんでした。アジア映画というものもほとんど知りませんでしたし。もしもその時、パッと晴れていたら監督のことは知らずにいた、そして出会うこともなかったと思います。そして、この映画『楽日』に出演することもなかったのではないかと思います。

野崎 雨が取り持った縁、という感じですね。

三田村 そうですね、昔から縁とか運とかを信じるほうなんです。『楽日』というのは、そのような縁があって出来上がった映画、作ることが決まっていた映画というふうに感じてならないですね。

野崎 初めて監督とお会いになったとき、突然雨に降られたことで監督の作品に出会ったという偶然については、三田村さんからツァイ・ミンリャン監督に話をする機会はあったんですか。

三田村 僕はその映画を見てすぐに、「日本語話せる人いますか」という、ガイドブックについているワンフレーズを切り取って、それだけを持って台湾に行ったんです。たまたま訪ねたビルに日本語のできる方がおられた、そしてその会社が『青春神話』を作った会社だったという偶然の中で、台湾に行って最終日、三日目に通訳を介して監督と話をしました。それから一生懸命言葉を覚えていき、直接話ができるようになっていったんです。

野崎 いつでも同じ俳優を使うというのは、ツァイ・ミンリャン監督の特徴ですよね。まさにファミリーみたいになっている。三田村さんは、日本人としてファミリーの一員になったというかんじでしょうね。

三田村 そうですね、特に『青春神話』という映画はそういう感じを受けます。ファミリーという感じ、家族で撮ったという感じ。いつも出ている役者が、出来上がっている家族の役割を自然に演じている。演技をしようという感じではなく、自然にリラックスした中で作られていますよね。

野崎 初めて台湾を訪ねた時にツァイ・ミンリャン監督に会うことができたというのはすごいですね。

三田村 台湾に行った時に、監督に会うだろうなという感じがあったんです。二泊三日で何もつかめなければ十日行ってもダメだと思っています。僕にとっては、予感と直感があったから台湾に行ったわけで、全てが自然な流れの中で『楽日』の撮影まで進んでいった感じがします。俳優になりたいと言った事もありませんし、そういうつもりもなかったんです。これからどうなるか自分でもわからないんですけれど。

野崎 不思議な話ですよね。映画を見るたびにそういう人がいると大変ですけど。テロップで「真似しないで下さい」って入れておいたほうがいいかもしれない(笑)。だからこそ、選ばれてたんだなという気もします。さっき三田村さんがおっしゃったように、『楽日』という映画自体が、大雨の中日本人が映画館の中に逃げ込んでくるところから始りますよね。まるで、三田村さんのストーリーを逆にツァイ・ミンリャン監督が追いかけたような気さえする。

三田村 きっとご覧になった方の中には「ストーリーがないじゃないか」とか「これは映画なんだろうか」と思われる方もいると思いますが、物語を追いかけようなんて思わないでほしいんですね。感覚で感じ取ってほしい映画なんです。こうなって、だからこうで、とストーリーを求めていると、シンプルすぎてつまらないと感じられるかもしれません。でも、それが日常なんですよね、普通に映画を見に行った時の出来事ですから。何にも考えないで、ただ映画の空気感に触れてもらうことで、『楽日』という映画は生きてくるのではないかと思います。


◆お別れを告げる映画

野崎 『楽日』という映画は全て映画館の中で撮られた映画ですね。閉館する映画館に別れを告げるという、一種の儀式としての映画という気がします。ちょうどクランクインした日にレスリー・チョンが亡くなったとお聞きしたんですが。

三田村 監督は『青春神話』のとき東京国際映画祭でレスリーと知り合われて、それからずっと彼とは親交があったんです。『楽日』を撮るという事で、「一週間後にレスリー・チョンが撮影現場に見学に来るんだよ。」と監督が言っていた時に、ちょうど撮影のクランクインの日に彼が亡くなったんです。待ちわびた気持ちが一転して、追悼の気持ちに変わってしまった。どんなに些細なことでもいいから何か形として残したいという監督の気持ちから、レスリーの写真が映画の中のワンシーンの中に隠されているんです。映画を見るとき、それも気にしながら見ていただければ思います。そのような追悼の意もこの映画の中にはあるんです。ツァイ・ミンリャン監督の映画の中にずっと出ていらしたミャオ・ティエンという俳優もこの映画を最後に亡くなられました。彼の魂は、この映画館の中にこれからもずっといるんじゃないかなと思います。そういう人たちの魂が安らぐ場所としての映画館を是非ご覧になって頂きたいと思います。

野崎 『楽日』の中では、映画館という場所が本当に素晴らしく、奥行きの深いものとして描かれていますね。映画館が閉じて終わりになってしまうというストーリー自体は、わりとメロドラマの一つのパターンとしてある気がするんです。例えば、『ニュー・シネマ パラダイス』や『スプレンドール』など。最初『楽日』という映画について聞いた時は、これらの映画を連想してしまいましたが、実際に見てみると違うんですよね。今までに例のない映画だと本当に思っています。つまり、この映画では「映画館」というもの自体を撮っているわけですよね。

三田村 今までのツァイ・ミンリャン監督の映画とは確実に違いますよね。この『楽日』という映画は、『西瓜』も含めて他の映画とは違う気がするんです。ツァイ・ミンリャン自身は一生懸命自分らしさを入れようとするんだけれども、映画館の魂が強すぎてどんどん削り落とされているように感じるんです。削り落とされた結果、からっぽの映画が残ってしまった。その映画館を撮らせていたのは、ツァイ・ミンリャン監督ではなくて、映画館の魂かもしれないと。 

野崎 それはすごく面白い話ですね。僕自身この映画を見て、滅びゆく映画館へのオマージュを感じました。そういうものは非常にセンチメンタルになりがちで実際この映画の中にもそういう部分もあると思うんですが、決してそれだけではない。同時に、閑散とした映画館の中には不思議でいかがわしい人たちが出てくる。その中に三田村さんもおられるわけですが、いかにもツァイ・ミンリャン映画の中に出てきそうな人たちなわけです。『龍門客棧』を上映中にも席を移動したり、トイレに行ったりと、ひっきりなしに怪しいことをしている。つまり、映画館自体は終わるんだけれども、その中ではいかがわしいパワーが蠢いている。二つのテーマがせめぎ合っているような気がしたんです。三田村さんの目から見たら、撮影中もそういう感じ、一方ではツァイ・ミンリャンワールドがあり、もう一方で、消えていこうとする映画館があるという感じはありましたか。

三田村 映画館の力がツァイ・ミンリャンワールドを凌いでいるように感じました。監督は一生懸命自分の世界を出そうとしているのに、削り落とされている感じを僕は受けました。

野崎 全てがその映画館の掌の上にのっている感じがしますよね。最後に映画館が映るシーン。誰もいない、何百と並んでいる座席がせり上がってくる感覚はすごい迫力ですね。

三田村 今、その映画館は、『楽日』の撮影を最後にシャッターを下ろしたままなんです。でも、取り壊せないんです、周りとの繋がりがあったりして。そのシャッターの向こう側で、どんな魂が蠢いているのか。空けた瞬間、それらの魂が飛び出てくるんじゃないのか、っていう気がしてならないんです。日本人の自分が、今ここで台湾映画について話をしているということも、自分が話をしているようで、映画館の魂がイタコのように僕の口を使って話しているんじゃないか。経済的な理由で数十年の歴史に幕を下ろさなければいけない魂の声かもしれないという気がするんです。

もっと蔡明亮!
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