もう一度蔡明亮
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◆監督、リー・カンション

諏訪 リー・カンションさんの『迷子』を、これから観られる方は楽しみにされていると思うんですけれども、今までずっと俳優として関わってこられて、最初に監督をするというのはどういう体験だったかをお聞きしたいのですが。

 監督をしてみて、役者だけをやっていた方が、かなり気楽で、監督は本当にたいへんだと思いました。役者だけやっているといるときは、演技のことだけ、演技をどういう風にやればよいか、ここはどういう風に演じればよいかということだけを集中して考えていればよかったのですが、監督になりますと、非常に大変でした。
脚本のこと、資金の工面、これはプロデューサーと外国の映画祭にいろいろ申請したりして国外からの資金を調達することに頭を使ったり、また撮影の現場に行きますと、技術的なこともいろいろとあって、即決をしなければいけない、すぐに判断を下さないといけない。さもないと、撮影現場が止まってしまうということが多いですから、監督の責任は本当に重大でした。やはり、時間をきちんと把握して、指揮をきちんととれるようにしないといけないということ、これがとても大変なことでした。また、撮影が終わった後も、配給はどうするかとか、どの劇場でかけられるかとか、そういうことにも頭を悩まさなければいけない。俳優だけであるときと、監督をするときでは非常に大きな差があると思いました。

諏訪 その体験のあとの『西瓜』で、もう一度自分が俳優に戻ったときというのは、何か変化がありましたか?

 監督をしてみて、やはり他の映画を観るときも、姿勢がまったく違うようになりました。今までのように、演じている人の演技を観察するだけというのとは大きく違って、ライティングの処理だとか、撮影の技術とか、そういう技術的な方面にもとても注意するようになりました。やはり、そこは役者だけやっていた時とは大きく違います。
そして『迷子』を撮り終えて『西瓜』の役柄を演じたとき、やはり監督で映画を一作撮った経験があって、ツァイ・ミンリャン監督に代わっていろいろと考えたこともありました。あるとき、撮影現場の雰囲気がとても良くなかったので、私は監督に文句を言いましたが、すると「君も監督じゃないか」とたしなめられてしまいました。

諏訪 撮影中にリー・カンションさんの方から、監督に対して意見を言ったりすることもあるんですか?

 観ていただいたらわかると思うんですけど、『西瓜』での演技というのは、まるで昆虫のような演技が要求されたわけです。リー・カンションは、いろいろとよい意見を言ってくれました。例えば、廊下でスパイダーマンのように這うシーンあるんですけど、そういうところも、彼が提案してくれたところです。そしてまた、チェン・シャンチーが、シャオカンに足でタバコを吸わせるシーンがありますが、そこも、彼のアイディアです。

 私は、映画監督としてとても幸せだと思います。というのは、私と私の映画に出てくれる役者さんたちとの信頼関係が非常に強いと言うこと。特に『西瓜』では、身体を直視した、真正面から撮った場面が多いので、裸体がしょっちゅう出てきます。性愛をテーマにした映画ですので、脱ぐという行為は、私への信頼がなければやりにくいと思います。それを私の役者さんたちは、ためらいもせずに演じてくれたわけです。これはやはり信頼感ですよね。
この『西瓜』には、日本の女優さんである夜桜すももさんが出ています。もうすぐ皆さんも御覧になれると思いますので、是非見て下さい。そして『楽日』では、日本人の俳優三田村恭伸さんが出ています。この三田村さんは、元々私の映画のファンでしたが、私の作品に出てもらいました。やはり、私が一番幸せだと思うのは、こういう風に私の映画に出てくれる役者さんたちが、私と一緒に映画を作り上げていこうという態度をいつも持っていてくれることです。

諏訪 もちろんそういう信頼というのは、ひとつひとつの作品で、ツァイ監督がこれまで作り上げてこられた歴史だと思います。さて、随分長くなってしまいました。皆さんが帰れなくなってしまいますので、そろそろお開きにしたいと思いますが…。


◆和尚とわらじ売り

 それでは最後にちょっと。今日は、非常に時間が短く感じられます! いつも大学にレクチャーに行く時は少なくとも2時間はかけます。この2時間で、どういうことを話すかというと、ほとんど自分の映画については語りません。いつも私は、観客、レクチャーを聞きに来てくれた人たちに向かって「映画とは何ですか」というふうにこちらから問いかけます。

 ヴェネチア映画祭で、『楽日』がかかったときに、フランスのある女性記者が、それと同じことを聞きました。「ツァイ・ミンリャン監督、あなたにとって映画とは何ですか?」
そのとき、私は逆にその人に向かって問い返しました。「あなたはどう思いますか?」と。この女性は、非常に面白くて、「映画というものを見ていると、とても嫌な感じがする」と言いました。それは、本を読んでいるときに、他の人が自分の本のページをめくってしまっているような感じを受けるからなんだそうです。「でも、ツァイ・ミンリャン監督の映画を見るとそういう嫌な感じは受けません。あなたの映画を見ていると、たっぷりの時間があるので、じっくりと考えることができる、静かなしーんとしたなかで、音をじっくりと聞くことができる。だから、気分がいいんです。」と。私はこう答えました。「恐らくそれは、神が人間の手を使って、造ろうとしているものなのではないでしょうか?」と。

 実は私は、あまり明るくない憂鬱な監督です。本音を言うと、映画を撮るのが怖いときもあります。実際のところは、映画を撮るのがそんなに好きというわけではありません。映画を撮るのは本当に難しいと思います。なぜ映画を撮るのか、一体これをどういうふうに撮るのか、そういうことを、いつも考えていると、本当に混乱してわからなくなります。そういう混乱した頭で、映画を撮らなければならないということは往々にしてあります。だから非常に怖いのです。 
にもかかわらず、私は映画を撮り続けていかなければなりません。それはやはり、運命によって定められているからだと思います。しかし、作品ができた時には、特別な嬉しさというものがあります。やはりそういう苦しみを乗り越えてきたので、作った者にしか味わえない醍醐味というものを感じるからです。ですから、私は苦しみながらも、これからも映画を撮り続けていくわけです。たぶん人生というものはそういうものでないかと思います。

 今日ここにいらっしゃるお客様は、60人ぐらいと聞きましたけど、60人のお客様から、この映画をもっと他の方にも広げていっていただければと思います。今日、実は午後にもうひとつ対談がありまして、その時にもお話したんですけれども、最後にある小さなお話をご紹介して、終わりにしたいと思います。
台湾にとても有名な星雲(シンユン)法師という和尚さんがいました。この和尚さんは、いつもわらじを履いていますので、しょっちゅう買いに行くわけです。わらじの値段は、30元なんですが、和尚さんは毎回そのわらじ売りに40元を払います。ある日、わらじ売りは、和尚さんに尋ねました。「30元でいいのにどうしていつも40元もくれるのですか?」と。すると和尚さんはこのように答えました。「もうこのわらじを作る人はあなたひとりしかいません。あなたがしっかりと良い生活をして、きちんと生きていてもらわないと、あなたのほかに、誰が私のわらじを作ってくれるのでしょう。私はあなたにずっとわらじ作りをやってほしいので、毎回40元出しているのです」と。
ですから今日は、私、リー・カンション、諏訪さんと、ここにいる3人は、わらじ売りなわけです。そして、この私たちの映画を配給してくれるプレノンアッシュの方たちもわらじ売りです。そして、この映画を見てくださる方はこの和尚さんであります。そういうお話でした、ありがとうございました。

諏訪 大変感動しました。遅くまでどうもありがとうございました。

もう一度蔡明亮
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