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諏訪敦彦
(すわ・のぶひろ)
プロフィール |
| 『2/デュオ』('97)で監督デビュー。『M/Other』('99)でカンヌ国際映画祭批評家連盟賞受賞。『H-STORY』('01)はカンヌ映画祭「ある視点」部門出品。「三人三色」オムニバス作品の一本『a
letter from Hiroshima』('02)で、ロカルノ映画祭ビデオコンペティショングランプリを受賞。『パーフェクト・カップル』は、昨年度ロカルノ映画祭審査員特別賞受賞。世界の名だたる監督たちの短編集『パリ、ジュテーム』で、今年度カンヌ映画祭ある視点部門に出品。予め台詞を用意せず、物語の進行を俳優に委ねる独特の手法でその芸術性は世界から高く評価される。 |

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◆ふたつにわかれる映画界
諏訪 今日はようこそお越しくださいました。遅い時間になりましたが、少し話したいと思います。いま『Hole』を見ていただいたところですけれども、かなり驚かれたのではないかという気がします。『Hole』以前のツァイ・ミンリャン監督の映画と、それから『Hole』以降というのはかなり変化がありましたね。
蔡 実は、かなり時間が経ってしまったので、そんなにはっきりとは憶えてないんです(笑)。先ほど、ここに入ってくるときにグレース・チャンの曲を聞きまして、やはり60年代の曲はとても素敵だなと思いました。たしかに、私のそれまでの作品と違って、この『Hole』では初めて音楽を入れました。しかもミュージカルというスタイルにしたこと、これはそれまでの作品とは大きく違うところです。
『Hole』は、アパートの中でずっとこもって撮り続けました。毎日、映画用の人工の雨を降らしたなかでやっていたので、かなりたいへんでした。その雨で、このアパートの住民の洗濯物を濡らしてしまい、家に帰ってきたご近所の人たちが非常に怒って、けんかになったこともあります。
諏訪 だいたいツァイ・ミンリャンさんの撮影現場は、水浸しになっているんじゃないですか(笑)?
蔡 しかし、私の今回の新作『西瓜』は、これまでの作品とは違い、水が欠乏しているという状況を背景に撮ったものです。出てくる水分といえば、西瓜の汁ですが、やはり水と関係がありますね。
諏訪 『Hole』のことにちょっと触れたのは、ツァイ・ミンリャンさんの映画を最初から振り返ってみると、『河』という映画がありました。また、それ以前にありました『愛情萬歳』も、どちらかというとリアリズムの映画に見えます。ただ、ツァイ監督の映画の本質というのは決してリアリズムじゃないんだ。そういうことが、かなりはっきり表れて、今回の『西瓜』という映画ではもっと全面的に展開されていると思いました。
先月バルセロナの映画祭に参加しまして、こういうことを言われました。それは「かつてのヨーロッパ映画の伝統というものを、今はアジアの映画が受け継いでいるのではないか」ということです。アジア・ニューウェイヴという映画の概念、カテゴリーがあるとすると、僕の映画とツァイ・ミンリャンさんの映画は、そのようなカテゴリーに入ると言われたんですね。ヨーロッパの人たちがなんて言うかは、僕たちにはあまり関係がないんですけど、確かにそのように見えます。
僕の映画とツァイ・ミンリャンさんの映画は、全然違うものなんですけども、ヨーロッパから見るとふたりの作品の中に共通するものが見えなくはない。ヨーロッパから見るとひとつのショットがとても長くて、人間が人間との距離感が、特に『楽日』は、空間の中にいる人間、という感じで、人間に対する距離感というものがヨーロッパ映画とはずいぶん違う。そういうところは共通しているところもあるかもしれないなと思います。
ただツァイ・ミンリャンさんの映画が、僕にとって面白いところは、登場人物が、まったく自分の意志で動いているのではないという点です。もっと大きな力、運命のようなものかもしれない、そういうものに、自分の意志とは関係なく、動かされている、何かの力によって動かされてしまっている人間というものが描かれていると思います。それはすごく現代的であると同時に、すごくシェークスピア的というかクラシックな劇的なものを感じます。リアリズムではなくて。
蔡 諏訪監督のご意見ですが、本当に同感です。少し付け加えさせていただくとすると、ヨーロッパでは、アジア映画に対して本当に注目を注いでいますね。ヨーロッパ人の通常の感覚からすると、映画というものを普通のアートとしてとらえているというところがあります。
しかし、映画界全体の状況からすると、世界的な映画は、今、ふたつに分かれるといっていいと思います。それはハリウッド方式の映画と、そうではない映画というものです。アメリカの映画は、グローバル化にひたすら向けて進んでいるようです。世界中の映画館が、ほとんどシネコンのようなものになってしまって、シネコンの中でいくつも映画を上映する場所を持っています。そして、上映の回数もものすごく増えている。どこへいっても、どんな時間でもハリウッド映画が観られる、そういう非常に便利な状況になっていると言えます。
この十年来の傾向というのは、非常に集中的に映画を商品として売ろうという配給の方法、これがハリウッドが目指している配給の方法だと思うんですね。例えば、映画が一本ヒットすると、次に続編を作る。1があれば2、それが売れるとまた3へ、という風に、どんどん同じようなものを作っていく。そして、特撮を多用して作っていく。お金が儲かる方向に向かって、有名なスターを使っていく。そのような配給の方法が固まってきています。はっきりとしているのは、映画産業が完全にビジネス化しているということです。そこにはほとんど、クリエイティブな要素というものが見られなくなってきている。そういうクリエイティブな要素があったとしてもごく少なくなってきている。
ですから、若い層の観客からすれば、映画といえば、ハリウッドの映画だということしか頭にないわけです。しかし客観的に見ると、アジア一帯は、まだそこまでの状況にはいっていないですね。でも、だんだんとそういう風になる可能性はあります。ですから、アジアの監督たちは、映画がどこに向かっていくのか、映画の進むべき方向を考える余地があるわけです。そういう状況にありますから、ヨーロッパの観客はアジアの作品を見ると、クリエイティブな要素を感じるわけです。創造性がアジアの作品には溢れているのではないかと感じるわけです。
◆クリエイティブな力
諏訪監督が去年、ロカルノ映画祭で準グランプリをおとりになった『パーフェクト・カップル』を例に挙げて、少しお話をしたいと思います。創造性とは、クリエイティビティとはどういうものか。そのとき、非常に大きな会場で上映されたんですけれども、諏訪さんの映画には、字幕がついていなかったのです。ですから、観客は非常に不安な気持ちに駆られました。かなりの観客は、途中で字幕がないためにわからないので退席したという状況があったのです。諏訪さんのその映画はとても静かな映画で、私の映画より長いシーンがあるわけですね。ホテル室内の設定なので、ライティングについても非常に暗めにして、薄暗いわけです。ですから非常に見えにくいのです。
こういう映画は、きちんと座って、静かな状況で観なければいけないわけです。けれども映画館は、ざわめきました。そんななか、諏訪監督のこの作品『パーフェクト・カップル』を観た時に、私は強いクリエイティブな力を発見しました。ものすごい力を感じたわけです。
諏訪さんの映画はあるホテルの中で一組の夫婦が喧嘩を始めるという設定になっています。その夫婦の喧嘩というのも、別に激しい喧嘩というわけではなく、奥さんの方が絶えずぶつくさ言っているわけです。このホテルの部屋の構造は、スイートルームのように、ふたつの部屋に分かれていて、奥さんの方は奥の部屋の方にいて、夫は手前にいます。その両方の部屋に分かれたままで、ずっと喧嘩をし続けているわけです。
その時の諏訪さんのカメラの位置、そしてライティング、撮る角度にしても、まるで私自身がそのホテルの中にいるような気分にさせられました。観ている者が、まるで映画の中に入っていけるような角度で撮っていました。ですから、私はその時映画を観ているという感覚ではなくて、そのホテルの中に入っていって、ちょうどその夫婦の喧嘩を聞いているかのような感覚を受けました。それは私がこれまで感じたことのないようなクリエイティブな力でした。
しかしながら、ハリウッド映画は本当に莫大な資金を使って、有名なスターを起用して作っても、映画館をひとたび出るとすべて忘れてしまうというものでしかありません。でも、それにもかかわらず、またハリウッド映画を見に行ってしまうというのは、それが習慣になっているからです。映画産業はビジネスであることはビジネスでもありますけれども、それは非常にクリエイティブな分野であるにもかかわらず、ほとんどの客はそうやって、自分が今観たばかりの事を忘れてしまい、その映画は創造的なものであるということをすっかり忘れている、それは慣らされてしまったからです。
今回、日本に来たのも、私とリー・カンションの3本の作品を宣伝するためです。これらが、もうすぐ上映され、諏訪監督の作品もまもなく上映されるわけですけれども、そういう映画に対して、私は非常に焦りを感じています。というのも、このような私たちのような映画が、これから存続できるのか、どのようになっていくのか、おそらく存続はとても難しいのではないかという焦りがあります
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