Joanni
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シノプシス 人物相関図 ルネサンス期のイタリア半島 メディチ家略系図
登場人物相関図

16世紀初期、イタリア半島の覇権をめぐって神聖ローマ帝国軍(ゲルマン軍)とフランス軍の闘いが繰り広げられ、ジョヴァンニはローマ教皇軍の隊長としてゲルマン軍の進軍を喰い止めるべく最前線で戦っていた。しかしイタリアの各公国の諸侯たちは自らの領土や権力を守るために秘密裏に敵軍と通じ、ジョヴァンニはたびたび苦境に立たされた。従兄弟にあたるフェデリコ・ゴンザーガは神聖ローマ帝国軍を率いるフルンスベルグ将軍にイタリアの教皇領に通じる川の通行許可を出し、マントヴァに隣接するフェラーラのアルフォンソ・デ・エステも、ジョヴァンニの要請を断って密かに大砲をフルンスベルグ将軍側に渡してしまう。そんなジョヴァンにの心の拠りどころとなるのが、妻マリアと幼い息子コジモ、そしてマントヴァの貴婦人の存在だった。

ジョヴァンニ・デ・メディチ(1498-1526)
美しく、政治的才覚も持ち合わせていた女傑カテリーナ・スフォルツァを母として育ち、教育を担当したミケランジェロが匙を投げるほどの腕白なきかん坊であった。喧嘩早く数々の問題を起こしてフィレンツェを追放されていたジョヴァンニを、メディチ家初のローマ教皇に就任したレオ10世はローマに呼んで手厚く庇護し、活躍の場を与えた。弱冠17歳で100騎の騎兵隊の指揮官に命じられたジョヴァンニは、持ち前の騎馬と兵法の才能を如何なく発揮し、歴戦の勝利で名将としてイタリア全土に名を轟かせた。1521年にレオ10世が死去すると、忠義心から喪章の黒線を引いた白旗を翻して戦い「黒隊のジョヴァンニ」として知られることとなる。1526年11月29日、フルンスベルグ将軍率いる神聖ローマ帝国軍との闘いで大砲による致命傷を負い、28歳の短い生涯を閉じた。

史実にもとづいた実際の人物像

フランチェスコ・マリア・デラ・ロヴェレ将軍(ウルビーノ公)(1490-1538)
1523年、ウルビーノ公フランチェスコは、ヴェネツィア議会から対フランス軍の指揮官に任命された。さらに1526年、神聖ローマ帝国の圧力に対抗するためヴェネツィア軍総司令官に就任。事実上教皇軍の総指揮権を与えられた。ジョヴァンニはウルビーノ公の指揮のものと、フルンスベルク将軍と戦った。

フェデリコ・ゴンザーガ(マントヴァ候)(1500-1540)
14世紀から400年に渡ってマントヴァの栄華を築き、ルネサンスの芸術に多大な貢献をしたゴンザーガ家に生まれる。1523年、神聖ローマ帝国の侵攻から教皇領を防御する命を受ける。しかしフェデリコは、戦禍が自国の領土に留まるのを嫌い、神聖ローマ帝国軍に作戦の要所であるポー川を渡らせて進軍を促す。その後神聖ローマ帝国軍の総司令官の地位にのぼりつめたフェデリコは、1530年帝国軍からマントヴァ公に任命され、その後も統治した。

アルフォンソ・デ・エステ(フェラーラ公)(1476-1534)
ヴェネツィアとフィレンツェの中間に位置するフェラーラ公国は、アルフォンソの時代、多くの音楽家や詩人を抱え、華やかな宮廷文化の中心となっていた。教皇クレメンス7世にコニャック同盟への加入を拒まれたアルフォンソは、表向き教皇に忠誠を誓いながら、長男の政略結婚によって神聖ローマ帝国の皇帝カール5世と手を結び、その見返りにジョヴァンニの敵フルンスベルグ将軍に大砲を贈る。ジョヴァンニからの兵器提供を断った直後のことだった。この大砲により、ジョヴァンニが致命傷を負うことになる。

ゲオルグ・フォン・フルンスベルグ将軍(1473-1528
カール5世の命を受けて神聖ローマ帝国のために身を捧げ、大規模な歩兵を率いてイタリアでの戦闘で勝利を勝ち取った。ジョヴァンニが戦線から消えたあと、順調にローマに向けて進軍するが、遠征の途上、脳溢血に襲われ、生まれ故郷のチロルに引き返し息を引き取る。

コジモ(初代トスカーナ大公)(1519-74)
父ジョヴァンニから勇敢さと公正な魂を受け継いだコジモは、18歳でフィレンツェ公に任ぜられ、1537年スペインの援軍を得て反メディチ勢力を一掃した。成人したコジモはトスカナーナ大公に就任し、神聖ローマ帝国と政治的緊張を保ちつつ巧みな外交政策と産業の育成により大公国を発展させ、メディチ家のイタリアに二度目の繁栄をもたらした。

マリア(1499-1543)
両親を早くに亡くしたジョヴァンニはメディチ家の「豪華王ロレンツォ」の娘ルクレツィアに預けられ、マリアはジョヴァンニの幼馴染として育った。1516年、二人は結婚。喧嘩早く問題ばかり起こすジョヴァンニを常に諌め、貞淑な妻として精神的に支えた。