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| 近代とは機械の能力による時代だ、と言われている。戦争機械こそが、その最たるものだ。 この映画は、人間が人間自身であり、その身体を持って“戦争機械”たりえた時代を語るものである。この“戦争機械”にとっては、その筋肉と戦闘能力だけが力の源だ。剣は戦士の腕の延長にすぎない。自らの能力は、敵の目に映る自分の姿で測られる。一対一で向き合う二人は、互いのことをすでに知っているか、理解していなければならない。決闘の瞬間、彼らは対決を至高のレヴェルに高めようとする。それは憎しみや侮蔑とは無縁の感情であり、互いを尊重する行為である。 人と人の剣による闘いには、こうした決闘の作法があった。それは、「戦いを職業とするもの」に品格をもたらした。 The noble art of warfare.(高貴なる戦争の芸術)。 その後、武器としての火薬の使用が盛んになるほどに人間不在の戦場が増えていった。言うまでもなく、戦う者同士が知り合う事など皆無である。 現在、兵士は自分が誰を殺しているか知らないのが当然のことになっている。そして、自分が誰に殺されようとしているのかを。いま、戦争というものに英雄は存在しない。いまや兵士たちには、戦場での能力や戦士そして人間としての高貴な美徳を表現するための実質的な状況が与えられていないのだ。我々の戦争は機械とテクノロジーに支配されている。その“進歩”とは、非人間的な殺傷能力の向上を意味している。 以前にも増してひどい状況になりつつあるが、人間の目に映る像は、もはや人間ではない。倒すべき敵には顔も声もない。その相手ははるか遠くにいて、誰も彼のことを知らない。痛みや憐れみを理解する心は、もはや失われてしまった。その結果、人々は単純な感情しか示さなくなった。それゆえ私たちは激しい憎しみにも愛にも無関心になり、他人と距離を保つことばかりに気を取られている。 科学と技術の進歩は、決して人間性やモラル、そして文明を豊かにしたとは限らないのだ。 エルマンノ・オルミ ERMANNO OLMI |
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