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◆ 侯孝賢らしさとは何か

 侯孝賢の様々な作品のなかで、初期三部作に続いて撮られた、彼自身の思い出に基づいた自伝三部作というものがあります。自分自身が台湾に生まれたわけではなくて、ある政治的な力学から、彼の父がほんのしばらく避難のつもりで台湾に来ていて台湾で生きていくことになったわけですが、そういう複雑な状況を描いている『童年往事』という映画があります。また、『恋恋風塵』は、彼自身の記憶というよりも純粋な台湾人であるところの脚本家・呉念眞の記憶です。いずれも、辛樹芬というどこにもいそうな素人じみた女優が恋人役を演じており、私は彼女が手紙を読んだり、ナレーションを始めたりすると、その声の艶だけで泣いてしまいます。 その後、台湾の現代史を扱った作品『悲情城市』がヴェネチアで金獅子賞を受賞しますが、実はそれ以前に、すでに侯孝賢は、様々なヨーロッパの映画祭で賞を総なめにして、1980年代の中ごろから、世界的な監督になっていました。あたかもその当然の結論であるかのように、『悲情城市』がヴェネチアで賞を受ける。そこで皆さん、なにかすとんと理解されたように、「ああ、『悲情城市』の人ね。」と言って、先ほど挙げた『ナイルの娘』などを見なくなりました。『ナイルの娘』は、今回残念ながら、プリントがうまく借りられなかったということですが、もし機会があればぜひ見ていただきたいと思います。 なぜ、彼のしかるべき作品があまり評価されなかったり、侯孝賢的ではないとして受け入れられなかったか。その理由のひとつは、我々日本人が叙事詩的な台湾の現代史には惹かれるが、同時代の台湾の散文性にはぴんとこないというところがあると思います。事実、台湾史を扱った映画のなかでは、1945年当時の日本人の状況が描かれていて、我々と関係がある。ところが、現代の台北を描くとなると、『ナイルの娘』はどうも散文的で彼らしくない、ということになります。そういう人に、「侯孝賢的」とはどういうことか、説明してくださいといっても、誰も私を説得してくれません。「侯孝賢らしさ」ということ自体がある種の神話になっているのです。だいたい、「現代を扱っていて、若い女性が出てくると、あまり生き生きとしていない」というような、説得にもならないようなことばかりですから、私もつい怒って喧嘩になるわけです。また、『ミレニアム・マンボ』はどうかというと、「最後に夕張が出てくるから気に入らない」というつまらない理由を挙げる人が結構いる。本当のところは、侯孝賢が"ミレニアム"だの"マンボ"といってもぴんとこないというのが関の山ではないでしょうか。 ここに加えて『フラワーズ・オブ・シャンハイ』を挙げておきます。これは溝口健二的ともいえる大傑作です、日本で公開されたときにそれほど当たらず、新聞等にもあの有名な侯孝賢の作品と採りあげられながらも、さほど詳しく紹介されなかった。それを見直す願ってもないチャンスが訪れたのですから、この映画祭でぜひ見直していただきたいと思います。


◆“侠”でつながる中上健次と侯孝賢

川の流れ 実は、本日、私はトークのダブルヘッダーでして、さきほどまで池袋新文芸坐で澤井信一郎監督と対談をしておりましたので、午前中から頭脳は「澤井モード」になっておりました。そこで、池袋から渋谷までのタクシーのなかで、『ステキな彼女』のあの歌のフレーズなど思い浮かべながら「侯孝賢モード」に切り替えようと思っていたところ、『君が代行進曲』を流す右翼の街宣車がつかず離れずついてきて、ほとんどモードの切り替えに失敗してしまいました。しかし、侯孝賢の若干苦みばしった笑顔を思い出しながら、「『君が代行進曲』ではない、『川の流れに草は青々』だ」と無理にいいきかせながらやってきた次第です(笑)。
 「侯孝賢モード」に切り替えるとはどういうことかといいますと、具体的にある漢字を想像していただきたい。私にとっては、なぜか任侠の"侠"の字が侯孝賢のイメージに近いでのす。どういうことかというと、彼の映画にはたくさんヤクザが出てきますが、そのヤクザそのもののある種のきっぷのよさというか、日本の任侠道とは違いますが、気性は荒いが抑制が働いていて、自分を犠牲にしてでも素人さんには絶対に迷惑をかけないという姿勢が、"侠"というものに近い何かとして彼の映画にはりつめている。それが途方もないやさしさとして出ているのが、『ナイルの娘』であり、『憂鬱な楽園』であり、『ミレニアム・マンボ』だと思っています。
その"侠"の意識は、どこかで、中上健次の小説につながっているような気がしてなりません。『悲情城市』を初めて見たのはロッテルダム映画祭ですが、人物関係がわからんと周りの外国人が文句を言っていました。中上健次の作品も、誰がお兄さんで誰が弟だかわからないという人物関係が、たとえば『枯木灘』という作品にもでてきます。『悲情城市』でも、家族の入り組んだ人物関係が描かれています。中上健次と侯孝賢はどこかで必ず通じ合うものがある、ぜひ二人を会わせたいと思っていたら、残念ながら中上健次が死んでしまい、私の願いは果たせずに終わりました。

 ここで問題です。では、初期の三作品と『悲情城市』以降の台湾語を喋る作品とどちらが本当なのか。もちろん台湾の人たちが、北京語ではなく、台湾語を喋るというのが、本当ではありますが、しかし、映画はそれとは違った"嘘の魅力"というものがなくてはならない。侯孝賢は理論の人ではありませんが、そこをある種の本能によって、初期の三作品は何語を喋ってもかまわない映画として成立させている。喋っていることは聞こえなくても、台詞よりもここで流れている音楽とともに、ある画面の流れの快さをうけとめようじゃないかと自然に思わせることに成功しているからです。それはある時期までのイタリア映画にも共通していて、アフレコによってイタリア映画が真実を失ったわけではなくて、逆に、おおよそネオリアリスモというのはアフレコによって作られていたといってもいいのです。台湾語が響く映画は素晴らしいものに間違いないですが、一方で誰が何を喋っても誰もがわかるようにしてしまった初期の三部作の素晴らしさ、それを撮っていた侯孝賢の力というものを改めて評価せざるを得ないと思います。
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