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パリも燃えたが、ゴダールが燃えている



また『愛の世紀』には、セガン島のルノー工場跡が出ていました。運河の川べりでエドガーがそれを見ながら「労働組合」について考えていたという廃墟がそうです。

 

 

 

■労働者の砦


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ここはかつてフランスの労働運動の牙城だったところで、ヨーロッパのストライキの発祥の地のひとつです。特に1936年の大規模なストの時の様子はロバート・キャパの写真で見ることができます。その工場も1989年に閉鎖され、一時期はここを現代美術館としてリノベーションするという計画もあったのですが、エドガーの企画と同様、その計画も去年の秋に中止が決定したようです。『愛の世紀』の最後に一瞬輝いて見えたパリですが、現実のパリは決して輝いてなどいないようです。では、パリはもう死んだのかというと、ここにきてにわかにパリが燃えはじめているというのは、みなさんもご承知のとおりだと思います。

 

 

■燃えるパリ


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■燃えるパリ


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昨年の10月頃でしたか、フランスの郊外を中心として、それまでずっと社会的に抑圧されてきた移民たちが異議申し立てのレジスタンスをはじめたというのが一つあります。フランスの街のあちこちで自動車がひっくりかえされて火をつけられ、それはまるでゴダールの映画『ウィークエンド』を思わせるような光景でした。それからあともうひとつ、これはつい数週間前のことですが、フランスでCPE法(初期雇用契約法)という法律が公示されました。これは二十六歳未満の労働者は、採用してから二年のあいだなら、いつでも無条件に解雇することができるという法律で、この法律に対してパリの学生たちが異議申し立てのレジスタンスをはじめ、ソルボンヌ大学を占拠するということが起こりました。学生たちがソルボンヌ大学を占拠したのは1968年の五月革命以来のことだそうです。そして、つい先日、学生と労働者が連帯し、このCPE法に反対する大規模なデモが行われたようで、このデモには約150万人が参加したといわれ、これはフランスでは戦後最大のデモだったそうです(*その後このレジスタンスによってCPE法は廃案になりました)。
もちろんゴダールは『愛の世紀』の五年後にフランスでこんなレジスタンスの運動が起きるとはおそらく予想してなかったとは思いますが、とはいえ、この相次ぐレジスタンスは、『愛の世紀』のはじめの方で"彼女"が口にしていた「失業者よ、この時こそ思考すべし」という科白を思い起こさせる出来事でした。

もっとも、燃えているのはパリだけでなく、ゴダールも燃えているようです。というのも、先日の講演でジャン=ミシェル・フロンドンさんが話してましたが、この4月からパリのポンピドゥー・センターでゴダールの大規模な回顧展が開かれるそうで、その回顧展のためにゴダールはいま、新作の短編映画を2本と長編映画を1本用意しているのだそうです。

 

 

■燃えるゴダール


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ジョルジュ・ポンピドゥ・センターのサイトより

 

 このポンピドゥー・センターのサイトでプログラムを見ることができます。それによれば、新作の一本は「Vrai faux passeport」という作品のようです。

 

それがいったいどういう映画になるのか分からないのですが、ゴダールにはまだ実現してない映画の企画案がいくつもあって、たとえば、そのひとつに『動物たち』というシナリオがあります。それは、まずはじめに女性たちが社会主義者たちから政権をとりあげ、次に子どもたちがそれをうばい、そして最後に、いま世界で最も抑圧されている動物たちがそれを狙うという一種のレジスタンス映画です。僕なんかはぜひこの企画が実現されたらいいなと思っています。それともうひとつ、これもぜひ見てみたいと思うシナリオは『シャン対シャン』という映画です。これはシャンという名前の男の子とシャンという名前の女の子がパリで出会うという短編映画で、あるインタヴューでゴダールは、これを「本当のリバースショットの映画」として撮ってみたいとそう云っていました。

この「リバースショット」というのは、先ほどみなさんがご覧になった『アワーミュージック』のゴダールの講義のなかで話題にのぼっていたものです。その講義でゴダールは「リバースショットは映画の基本だ」といい、「よくないリバースショット」の例として、ハワード・ホークスのリバースショットの使い方をあげていました。

 

■ホークスのリバースショット


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『アワーミュージック』より

 

ゴダールは上の二枚の写真を見せながら、ホークスには「女と男の違いを区別できなかったのだ」とそう指摘していました。「リバースショット」というのは、こんなふうにものごとを対称的な構図の中に置いて切り返してみせる映画の手法ですが、ホークスのこのリバースショットに対して、どうしてゴダールが異議を唱えるのかというと、皆さんもご承知のとおり、現実の社会において女と男は決して平等でもなければまた対等でもなく、そこにはつねに不公平な権力関係があるのに、ホークスはあたかも女と男が平等で対等であるかのように撮ってしまっているからで、つまり「違いを区別できない」というのは、両者のあいだの不平等で非対称的な関係を認識できていないということです。

『アワーミュージック』のなかに、レルネルというイスラエルから来た女性ジャーナリストとマフムード・ダーウィッシュというパレスチナの詩人がインタビューの席で対話するシーンがありましたが、ゴダールはこのふたりをリバースショットでは撮っていません。常に斜向かいになったすれちがいの構図で撮っていました。それは現実の世界でのイスラエルとパレスチナの関係が決して対等でもなければ平等でもなく、また平和的でもないからで、だからゴダールは映画とはいえ両者をリバースショットでは撮らないわけです。
またその講義の中でこんな質問がありました。

「ゴダールさん、デジタルカメラで映画を救えますか?」

この質問に対してゴダールは返答せずに沈黙でこたえていましたが、それはおそらくデジタルカメラの原理であるデジタルという仕組みそのものが、あらゆるものごとを「1」と「0」つまり「あるもの」と「ないもの」あるいは「存在するもの」と「存在しないもの」という圧倒的に不平等で、かつ非対称的のなものに分断してしまうからで、そうした根本的に不公平なシステムに、なんであれものごとを救うことができるのだろうか、という考えがゴダールにあって、それでその質問に対して沈黙で答えたのではないだろうか、と思うわけです。

 

■デジタルの原理


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