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レジスタンスのアーカイブとしてのブルターニュ



さて、その「惑星ブルターニュ」で展開する主なストーリーというのは、ご存知の通り、スピルバーグ将軍ひきいるハリウッド帝国軍と合衆国政府の魔の手から、過去のレジスタンスの歴史と記憶を守りぬこうとする闘いです。

そこでは、第二次世界大戦の時代、ナチスというファシズムの帝国を相手に抵抗運動をくりひろげたド・ゴール将軍ひきいる「自由フランス」の同盟組織「トリスタンとイゾルテ」の中心人物であったパルチザンの祖父母とその孫娘が、今度はハリウッドと合衆国政府という「新たな帝国」を相手に抵抗戦をくりひろげます。それは相手がなげつけてきたことばをひろいあげ、それをこちらの武器につくりかえて反撃するという、奇襲戦法によることばのゲリラ戦です。アメリカについてはこれまでいろんな人がいろんなことを書いたり云ったりしてきましたが、合衆国が「名前のない国」だというつっこみは、この映画ではじめて聞きました。

ところで、『愛の世紀』のシナリオにブルターニュが登場するのは、4番目のシナリオからで、これは割と後になってから思いついたことのようですが、ブルターニュを舞台にすることを思いついたことで、それまで難航していたシナリオがかたまり、はじめは漠然としてはいたけども、やがてそれがこの映画をながい「まわり道」の末に、いまあるかたちへみちびいたようです。ゴダールはブルターニュについてこう云っています。

「ブルターニュがこの作品に登場しなければならないことはわかっていた。
そこは私にとっていろいろなものがからみあった土地で、撮影中もずっと
その思いがつきまとっていた。私は自分の過去によってブルターニュに
みちびかれ、そしてまた祖父母たちのもとへとみちびかれたのだろう。
これは私の個人的な歴史に由来するものだが、同時にまた、レジスタンス
や、ドイツ軍による占領や戦争の歴史に由来するものだ。そしていまでは
この歴史は私にとって、まるで自分の記憶のようなものになってしまった。
そのせいで、私がこの映画をみちびいたのか?それとも、この映画が私を
みちびいたのか?いったいどちらがイニシアチヴをとっているのかわから
なくなってしまったのだろう」(JLG『長い物語/歴史』)

 

 

 

■レジスタンスのアーカイヴ


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『愛の世紀』より(*一部書きこみあり)

 

 

 

 

 

 

まず、大文字の歴史の話からすると、第二次大戦中、フランスがナチス軍によって占領されたとき、ド・ゴールは「自由フランス」同盟軍をたちあげ、フランス国民にたいしてドイツ軍への抵抗運動を呼びかけました。その時のことをド・ゴールは後にこう回想しています。

「私が「自由フランス」を結成し、ロンドンからドイツへのレジスタンスの続行を
呼びかけたとき、このフランスを救おうと駆けつけてきてくれたのは、何の縁も
ゆかりもない若者たちと、小舟ひとつきりのブルターニュの漁師たちだけだった。」

次に、ゴダールの個人的な記憶の話をすると、少年時代、ゴダールは、家族でブルターニュにヴァカンスにでかけた時、親に買ってもらったキャンディをペロペロなめながら、ナチスのドイツ兵たちに赤い舌をみせてアカンベエをしてみせたのだそうです。どこかでゴダールは「これが私の生まれてはじめてのレジスタンスだった」とそう云っていました。

つまりブルターニュは、大文字の歴史である世界史のうえでも、また小文字の歴史であるゴダールの個人史のなかでも、「レジスタンス」というものとのつながりの深い土地であって、いわばそこはレジスタンスの歴史と記憶のアーカイヴ(=資料庫)のような場所です。さらにもうひとつ別の歴史として、ゴダールのフィルモグラフィー(=映画史)をみると、ゴダールが1975年に撮った映画に『うまくいってる?』という作品がありますが、この作品のなかでゴダールは、ブルターニュで起こった工場ストライキのカットを引用して分析するということをやっています。またブルターニュは、こうした労働運動だけでなく、反-原発運動でも有名で、1981年のニコル・ガレクのドキュメント映画『プロゴフ、銃には石を』(注4)では、原子力発電所建設に反対する住民あげての抗議行動としぶとい抵抗の記録をみることができます。さらにもっと最近の歴史でいえば、ブルターニュはもともとフランスからの分離独立運動が盛んな土地で、「ブルターニュ解放戦線」というレジスタンスのグループがそれを率先してきましたが、グローバリズムの時代になると、それがアンチ・グローバリズム運動と連動し、2000年には「ブルターニュ解放戦線」から分派した「ブルターニュ革命軍」というグループがマクドナルドを爆破するという事件も起きています。『愛の世紀』のなかで、ジャン=アンリ・ロジェが演じるブルターニュ市文化局の職員が合衆国の役人をつきとばす場面がありましたが、あのシーンにはブルターニュの世情や土地柄がよくでてると思いました。

この大きな歴史と小さな歴史のはたしてどちらがゴダールをブルターニュにむかわせたのかはわかりませんが、ともあれ、難破しかけていたシナリオを救ったのは、おそらくこのブルターニュであり、結果としてこのレジスタンスの土地を登場させたことで、この『愛の世紀』という映画は、3×4の愛ではない、別の愛を描くことになったようです。レジスタンスの愛というのがそれですが、その話をする前に、この映画の「第二部」には非常に美しいシーンがありましたので、まずそちらからお話します。

それはどこにあったかというと、「第二部」のなかほどで、ブルターニュの民族衣装を身に着けた二人組の女の子が、主人公の"彼女"の家をたずねてきた直後にそれははじまります。さて、子どもたちが出てきたからには、注意しなければなりません。そのときその子どもたちはいったい何をしにやってきたかといえば、映画『マトリックス』の上映をもとめる署名をもらいにきたのです。そしてこれはこれからはじまるシーンについての重要な暗号となります。つまりこれから『マトリックス』のような何かがはじまるという警告です。

子どもたちから署名の紙をうけとった"彼女"は家のなかに入り、部屋の奥にいたエドガーとすれ違います。いってみれば、ただそれだけのシーンなのですが、ここは「第二部」のハイライトのひとつだと断言できます。なぜなら「波」の映像がでてくるからです。ゴダールの映画にはいわゆるドラマ的な要素がすくないのですが、そのゴダールの映画に「波」の映像が出てきたら、これまた注意が必要で、それは何か目に見えないドラマチックな出来事が起こるという合図であり、これがそのシーンです。

注4 『プロゴフ、銃には石を』(1980/フランス)
原題:Plogoff, des pierres contre des fusils
監督:ニコル・ガレク
ブルターニュの西部にあるプロゴフで原子力発電所建設計画が持ち上がり、この計画に殆どの住民が反対し、壮絶な抵抗運動が繰り広げられた。CRS(共和国保安機動隊)の応酬が激しくなり、逮捕者も増える中、ブルターニュ各地から応援者が集まり、最終的に計画は実現されなかった。この村から30km離れたところに住んでいた監督が「事実を記録する必要がある」として撮影を開始。完成後、フランスの映画館で公開された。

 
 

 

■運命の波


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『愛の世紀』より(*一部書きこみあり)

 

 

エドガーがドアの脇でぼんやりたたずんでいるところに突然、波の映像がおしよせてきて、オーバーラップし、まさに「運命の波」のようにその水のモンタージュがエドガーをのみこみます。そこに"彼女"がやってきて、エドガーとすれちがい、そして"彼女"はエドガーをそこに残してそのまま立ち去ってゆきます。ふたりはこの日、出会ったばかりなのですが、どうみてもこのシーンは、エドガーがいまは亡き彼女の幻影を水のなかで思い浮かべているように見えるのです。むろんこの時点でエドガーは彼女が自殺することは知らないのですが、「第一部」を見ている僕らはそれを知っているので、そんなふうにみてしまいますし、それにここでのエドガーは「第一部」の「現在」から時空を超えて「過去」にやってきたエドガーなので、SF映画によくあるように、エドガーの意識のどこかに彼女が死んだということがメモリーされているのかもしれません。現にそこでのエドガーの表情は人がなにか過ぎ去ったものを思い出しているときの表情で、それはまるで亡き"彼女"との再会のシーンのように見えます。かくして、映画『マトリックス』のようにここでは、時空を超えて現在と過去とが交錯し、出会いと再会が重なり、矛盾が炸裂するわけですが、その矛盾ゆえにこのシーンは、非常に美しいシーンになっています。そしてこの水のモンタージュのシーンはまた、今日はじめにお話したジャン・ヴィゴの『アタラント号』のそれを彷彿させるものです。「水のなかに愛が見えるということを知らないの?」というジュリエットのことばを思い出したジャンが川のなかにとびこんで、パリではなればなれになってしまったジュリエットの幻影を水のなかにみるというモンタージュのシーンがそれです。そのシーンもここでのシーンと同様、とても現実とは思えないようなファンタジックな映像ですので、ご覧になられたことのない方は『愛の世紀』をもう一度みるときにぜひ一緒にご覧になられることをお勧めします。

 

 

■愛について


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『愛の世紀』より(*一部書きこみあり)

 

 

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