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ジョン・フォードという原罪



蓮實 ところで、『愛の世紀』を今ご覧になった後で、これから『アワーミュージック』という映画をご覧になるわけですけれど、これについても触れておかなければいけない。

青山 そうですね。全てを語るわけにはいかないので、これも結局のところ僕はどちらかといえば、こちらの方が感情移入の量が相対的に多かった気はしますね。

蓮實 し易いんですね。

青山 し易くなっているというところがあるんでしょうね。

蓮實 どうしてゴダールがこれほど感情移入をさせるような映画を撮っちゃうんだろうか。

青山 しかし逆に、お前らはこうすれば感情移入するだろう、というような方法をやっている節さえあるんですね。

蓮實 なんとなくちょっと下品なところがありますね。

青山 ええ。

蓮實 でもその下品さは許せる。

青山 ええ、そうなんですよ。微妙なんです。

蓮實 そう、非常に微妙なところだとおもいます。

青山 つまり例えばフォードと一言つぶやけばお前さん泣くだろうというね、そんな態度があるような気がするんです。今まで彼はそこまで下品になったりはしなかったんですけれど、なぜなんでしょうね、これは。

蓮實 ちょっと観客を甘くみはじめているところがあるのかもしれない。『愛の世紀』までは、ここまで泣かせようなんていうのはないでしょう。

青山 そうですね。

蓮實 そう意味で私は『愛の世紀』のほうが何か崇高な感じがして、『アワーミュージック』の方は我々が分かってしまうというか、私のような世俗的な人間にも分かってしまうところがあるのが「ハテナ」っていうところがあるんです。しかし、最終的には「ハテナ」っていう疑問も全部消してしまって、やっぱりいい映画なんですね。
青山さんが先ほどフォードとおっしゃったけれども、それはどこに繋がるわけですか?

青山 といいますと?

蓮實 フォードと一言言えば許されるだろうというようなですね。

青山 許されるというか、お前さん、泣くだろうと。どこ、というのは映画中でですか?

蓮實 ええ。『アワーミュージック』では具体的にはハワード・ホークスが問題になっていて、あからさまにジョン・フォードに言及してませんよね、彼自身は。

青山 これは一番初めに日仏学院で観た時もつい言ってしまったんですけど、この映画の冒頭、ビデオの抜粋を編集した「地獄編」があり、続く第2部の「煉獄編」が『リバティ・バランスを撃った男』のラストカットにそっくりなカットから始まるんですね。この映画を観ていただいたあとに『リバティ・バランス』を観直していただけると分かると思うんですが。実は大学時代に『リバティ・バランス』のラストカットがどうなっていたかに気づいたときがありまして、それが僕にとって映画を観ていく、作っていくにあたってとても大きな事件だったんです。それがこれと突然パチンとヒットしちゃったんですね。なおかつこれは蓮實先生のお書きになったものを読んでいる方ならお分かりですけど、川で石を投げるところがあるんですね。あの川で石を投げた瞬間に絶対フォードだというふうにこちら側は確信してしまうんです。自分の映画との真の出会いと現在の思考がそこで出会ってしまった感じです。そうなると、インディアンの登場などはむしろ下品な部分だとさえ思えまして、しかしそういうところに彼が、どういう暗号なんでしょう、誰に向けられた暗号なのか分からないんですが、あるいは自分に向けられていると勘違いしてしまうような、そういう受け取り方をしてしまったんですね、特にフォードの名前においては。

蓮實 私は、ジョン・フォードはゴダールにとっても、あるいはヌーヴェルヴァーグの殆どの映画作家にとってもある種の原罪に近いものだと思うんです。これほど優れた映画作家でありながら、実はフォードを殆ど理解できなかった映画批評家、映画史家が「カイエ・デュ・シネマ」という雑誌をつくったわけです。

青山 アンドレ・バザン(註4)ですね。

蓮實 バザンさんですね。したがってフォードは悪い作家であるということが50年代にほぼ10年続いて、60年代に至ってゴダールも、ことによったら55、6年から、フォードもいい作家かもしれないという非常にゆっくりとしたフォードとの出逢いがあるわけです。

青山 はい、はい。

蓮實 わたしはそれを許さないわけなんです。

青山 ええ、ええ。

蓮實 アンドレ・バザンごときがフォードを分からないと言って、自分たちがそれに連なってきたその原罪を、今、ゴダールは告白しつつあるわけですね。

青山 これは懺悔なんですね。

蓮實 懺悔なんですよ。そうしたら日本人のほうがえらいに決まってるわけです。

青山 そうなんですよね。そうなりますよね。

蓮實 実は、夕べは別のところでマノエル・ド・オリヴェイラ(註5)の話をしたんですけれど、オリヴェイラも一番好きな作家はフォードだといいます。それをフランス人がなかなか理解できなかったということが、フランスの大きな原罪としてあり、それを撃ち続けるというのが、ゴダールの背中を撃とうとする私の唯一の戦略なんです。
異母兄弟としては最後に一言伺うとですね、どうやってゴダールを撃ちます?

青山 なんてことを聞くんですか(笑)。それ以前に、僕は果たして撃ってよい異母兄弟になれるかどうかですね。

蓮實 いやもうそれは…

青山 そこからだと思うんですよ。これをやらないとどうにもならない。

蓮實 私が認定して、ゴダールの異母兄弟が大体世界に12人くらいいるわけです。その12人が誰とは言いませんけれども、その一人がここにおられる青山真治監督であるわけです。これはやはり異母兄弟として、多分母親が異なる、または父親が異なるかもしれないわけですよね。

青山 …と言われましても(苦笑)。

蓮實 そこらへんは分かりませんが、どっかでやっぱりゴダールを撃っていただくというのは脇から見ている私の希望なので、是非撃ってください。あるいは最近はピストルではないから時限爆弾で、どっかでバーンと、レマン湖のほとりに時限爆弾を仕掛けてゴダールが彼の最愛の女性かどうかは分からないけれども、最愛らしく振舞っている女性とプラプラ散歩してたらバーンと…

青山 いいですね、そういうことがありえたらいいですね。

蓮實 と、私は思っております。

青山 僕から一言言わせていただくと、これは非常に重要視するべき問題だと思うのですが、『愛の世紀』に一つだけ足りないものがある。それは女性の素晴しいアップだと。あの女の子、カンヌで僕は間近で見たんですが、すこぶる映画的な美女なわけです。その彼女の素晴しいアップがこの映画には唯一足りない、と感じまして、ですからキーはその辺かな、という気がしております。

蓮實 女性を隠したわけでしょう。

青山 隠し続けましたね。

蓮實 この隠し続けたことはえらいと思うんですが…

青山 ええ、ですが…

蓮實 だけど、どっかで見せろよと。それが、その妥協が映画だぞと私は思うんですけど、遂に見せなかったというところが…

青山 このことができるかどうかというのが僕にとってはやはり…と思いました。

蓮實 でも、撃って下さい。

青山 いやはや(苦笑)。

蓮實 もう時間のようです。

青山 どうもありがとうございました。




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註4 アンドレ・バザン 1918年生まれ。フランスのヌーヴェルヴァーグに多大な影響を与えた映画評論家。ゴダールやロメール、トリュフォー等が彼の元に集結し「カイエ・デュ・シネマ」誌を発行。

註5 マノエル・ド・オリヴェイラ 1908年生まれ。映画監督。1993年『アブラハム渓谷』が世界的に絶賛され、その後も『メフィストの誘い』や『家路』、『クレーヴの奥方』、『永遠の語らい』など、98歳となる今も精力的に映画を撮り続けている。