アンダーグラウンド

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ヴェルヴェットアンダーグラウンドほど実際に活動していた時期と現在とで、与えられた評価の大きさに開きのあるバンドは他にいない。
アンディーウォーホルのアートーパフォーマンスに貢献し、当時のバンドは前衛アート界、あるいは一部の先鋭的ミュージシャンの注目を集めはしたものの、商業的な意味での成功とは程遠かった。
その証拠に、今や誰もが一度は目にしたことのある最も有名な、例の『バナナーアルバム』が全米チャートでやっとの171位。
『ホワイトーライト/ホワイトーヒート』に至っては199位を記録したに過ぎない。
しかし、ブライアンーイーノが後に「ヴェルヴェッツのアルバムを買った者はほとんどいなかったが、彼等の音楽を聴いた誰もが自分達のバンドを結成した」と語っているように、彼等の原始的な実験精神、そして扇情的、衝撃的な歌詞は、孤立した未来のシンガー・ソングライター達をインスパイアし、後のパンク、ニュー・ウェイヴに大きな影響を及ぼし、またリード、ケイル、二コらがソロとしてのキャリアを築く一方で、デヴィッドーボウイ、ブラポアンーイーノ、パティースミスらがバンドからの影響を公言するなどして、年を追うごとにバンドの評価は高まっていったのである。
さらに80年代になると未発表曲のコレクションと共に彼等のオリジナルーアルバムも再発されるようになり、構築された楽曲、そして時にカラフルで時に厳めしいサウンドスケープといった豊穣な音楽的素養にも、ようやく光があてられるようになる。
そうした再評価がヴェルヴェッツーチルドレンと呼ばれる数々のフォロワーの誕生にも拍車をかけた。
今振り返って考えれば、バンドがカルト、あるいは前衛芸術のサブカルチャーの枠組みから解放され正当な評価を得るまでにはあまりにも長い時間を要したわけだが、しかし逆に言えば、それほど当時の彼等の表現方法は尖鋭的、急進的であったということかもしれない。
 ヴェルヴェットーアンダーグラウンドがロック界に及ばした影響については、これまでにも色々と取りざだされているし、そのひとつひとつの要素の複合的な絡み合いこそが彼等の魅力であることは違いないが、後のバンド達に与えた最大の影響にして、彼等を唯一無二の存在たらしめていたものが何であったかを敢えて言うのであればIその点についてはむしろ強調して言ってもいいと思うがIロックの持つ生々しさと実験音楽を融合させた点にある。
ヴェルヴェッツが実際に活動した60年代後半は、サイケデリックーロックの全盛タイピストからの再出発 70年夏にヴェルヴェットーアンダーグラウンドを脱退したルー・リードは両親の家に戻り、父の会社でタイピスト(−・)のバイトをしていたそうだ。
時代の先頭を走るロックースターが次々と若くして世を去った時期にロックンロールの狂乱の舞台から身を遠ざけたことは、結果的に正しい選択だったかもしれない。
その間に英国ではデイヴィッドーボウイらがグラム・ロックと呼ばれるデカダンな音楽で人気を集めるようになっていた。
そのボウイの米国での担当A&Rに励まされ、ルーはRCAから再出発する。
 72年のデビュー作『ルー・リード』@は、実のところ収録曲の大半がヴェルヴェッツ時代の未発表曲だった。
録音はロンドンで行なわれたが、イエスのメンバーなどの寄せ集め伴奏陣は没個性的な演奏をしているし、本人も多くの曲でまだ自信なさげでためらいがちな印象を受ける。
 ルーを一躍ロックースターの座に引っ張り上げたのは、ヴェルヴェッツからの影響を広言する当時人気絶頂のボウイとミック・囗ンスン。
彼らがプロデュースした『トランスフォーマー』Aはご存知のヒット曲「ワイルドーサイドを歩け」を含み、トップ30入りを果たした。
ただし、名作と呼ぶには全体の出来にむらがある。ファクトリー周辺の人びとの頽廃的な生活を詩的に描いた作品だが、そのキャンプな感覚の強いサウンドは今となってはやや貧弱に感じられる。
もちろん、「ワイルドーサイド」「ヴィシャス」「サテライトーオブーラヴ」といった今も歌い継がれる名曲があり、素晴らしい瞬間が随所にあることも確かだが。
 73年の『ベルリン』Bは東西分割という状況を隠喩に用いて、頽廃的な街で倒錯的な愛に陥っていく麻薬中毒の恋人たちを主人公にした「耳で聴く映画」。
プロデューサーはボブーエズリンで、スティーヴーウィンウッドやシャッターブルースを含むスター揃いのバンドと共に荘厳で退廃的なサウンドを作り上げた。
陰鬱な美しさを持つこの作品は発売当初こそヤントーダンス』Eは元BS&Tのスティーヴーカッツが共同プロデュース。
ホーンを導入し、ファンキーなソウルぽさをねらった曲が目立ち、トップ10入りするヒット作となった。
収録曲の大半は敵愾心がたっぷり潜んだ辛辣なものだが、ヴェトナムで精神を病んだ幼馴染を唄った「ビリー」には素直に心を動かされる。
 ヒットを飛ばした後がこれだ。
この振幅の激しさはどうだろう。
ロック史に名高い問題作『メタルーマシーンーミュージック』Fは全てがギターのフィードバックによるノイズで埋められた75年作。
現時点で振り返ればソニックーユースなどの先駆的存在ともいえるわけで、一部で再評価の声が高いのもわかる。
評価は低かったが、次第に真価を認められてきた。
  『ベルリン』でも弾いていたスティーヴーハンターとディックーワグナーのギター2本を前面に出したハードなロックの『ロックン囗−ルーアニマル』Cは73年のツアーを収めたわくわくさせられるライヴ盤。
普段は冷淡なヴォーカルのルーも、そのウィットを犠牲にすることなくシャウトし、ロックースター然とふるまう。
75年発表の『ルー・リードーライヴ』Dも同じツアーからの続編だ。
 その2作と共に、74年の『サリー・キ 冒頭のスライドーギターはまるでイーグルスみたいとの声まで出たほど、ファンが戸惑うソフトなサウンドを聴かせる76年の『コニー・アイランドーベイビー』Gだが、ここでのルーはそれまで以上に内面を暴露し、自分の抱える痛みと疑念を認めている。