INTERVIEW カンヌ映画祭
記者会見全文
Get Acrobat reader
司会:「Eloge de l'amour」は「ヌーヴェル・ヴァーグ」以来のゴダールのカンヌ映画祭コンペ出品です。私の左奥には、プロデューサー二人、アラン・サルドとルート・ヴァルドブュルゲール。私の横には主演俳優二人、“ELLE(彼女)"役のセシル・カンプ、エドガー役の、現在フランスで公開中のジャン=フランソワ・リシェの「De l'amour」にも出演し、コメディ・フランセーズのメンバーでもあるブルーノ・プュツリュ。

英語圏のジャーナリストが試写を観た後、「ゴダールには“神"が宿っている」と言っていました。皆さん、"GOD(Godard)"です。

まずは二人のプロデューサーに話を聞きたいと思います。お二人とも、ゴダール氏と長い間一緒に仕事をされていますが、ゴダール氏はどのように仕事をするのでしょうか。ゴダール氏から「アラン、ルート、さあ時間だ」と電話がかかってくるのでしょうか。それともルートがゴダール氏に「今、何をしているの」と電話するのですか。

アラン・サルド(プロデューサー):いや、もっと単純です。ジャン=リュックが何かをやると決めた時、私たちはそこにいるだけです。いつも彼のためにいます。

司会:それでは、会話は30秒しか続かないということですか。"ジャン=リュック"、または"ゴダール"、いや"GOD"が何かをやりたいと言うと、貴方達は「ここにいるよ」と応えるわけですね。

アラン・サルド:そうです。「さぁ、準備はできている。すぐにやろうと」と。

司会(ゴダールに向かって):どの監督もこのように恵まれてはいませんよね。

アラン・サルド:それに値する監督も少ないから…

司会:二人の役者はどのように決まったのですか。呼ばれて、オーディションがあったのですか。監督と会って…

ブルーノ・プュツリュ:勿論出会いがなければ何も始まりません。普通エージェントを通したり、直接監督から連絡が来たりします。私の場合は後者でした。ゴダール氏は私の出演している「Les passagers」(ジャン=クロード・ギエ監督)を見ていて、私に会いたいと言ってきました。

セシル・カンプ:私の場合はカメラ・テストがありました。というのも監督は私の出演した作品を何も観ていなかったので。

司会:選ばれた後、どのように事は運んだのですか。

ブルーノ:まだ何も始まっていないので、最悪も最高も起こりえるわけです。私たちは最高になるよう努めました。ある企画があり、私たちはいくつかのことしか知らされていませんでした。ベストの作品ができるよう皆一緒に頑張りました。

セシル:私も同様です。ある企画があり、かなりのスピードで全てが進みました。私の出演は月曜に決まり、水曜から撮影が始まりました。ですから、作品の中にすぐ入らなければならず、少しずつ作品の意味を見出そうとしました。何も知らないうちに、既に作品の中に入っていたのです。

司会:しばし役者達と話を続けたいと思います。ブルーノは正直な男として定義され、この役に選ばれ、セシルは声をして定義されていますが…

セシル:ある人は幻を見、ある人は(神の)声を聞くように、私は声をしてこの作品に存在しています。

ブルーノ:私は(そのように定義されたことが)よくわかります。そう定義されて光栄です。正直さというのは今日ではなかなか見られない美徳です。役者というのは、映画によって生かされていますが、時には、映画のために生きることも必要です。それは自分の可能性を見せびらかすという意味ではありません。作家がいて、企画があり、我々は両者にとってベストを尽くすのです。

司会:質問をどうぞ。

ジャーナリスト1:68年のカンヌで監督にお会いしました。一つ質問があります。貴方の作品はコメント(批評)をできるような作品ではありません。というのも絶対的にGOD = GODARDなる作品だからです。何も暗示していないことに驚きました。「テレビ」と「記憶」に対する暗示は非常に興味深く、的確なものでした。今日インターネットやEメールが私達の生活を大きく変えていますが、貴方はこの点に関して社会学的見解を示していません。

ゴダール:映画の中でですか?映画の中でeメールの話をしろと言うのですか。

ジャーナリスト1:eメールの話をしろと言っているのではありません。貴方のディスクールはよくわかっています(笑)。「記憶の喪失」がテレビの誕生と関係があると貴方は指摘しており、それは的確な意見です。一般的な意味で、インターネットやeメールが私達の生活に及ぼした影響について、社会学的な見地からコメントしていただけますか。

ゴダール:私はいまだに古いタイプライターを使用しているので、貴方の質問に答えられる的確な人物ではありません。実は12台のタイプライターを買っておきました。私が生きている限り困らないように。
タイプライターのおかげで、書くことに興味を持つことができ、思考を確定するのに役立ちました。タイプライターが発明された頃、ニーチェは次のように言っています。「これは盲目の人のために発明されたものである」と。ですから映画人にとってタイプライターはまさに必要なアイテムと言えるでしょう。

ジャーナリスト2:補助的で平凡な質問です。貴方の作品の試写には多くのジャーナリストが駆けつけるのに、何故、キルギス映画の試写には25人のジャーナリストしか観に来ないのでしょうか。これはジャーナリストの好奇心が欠如しているからでしょうか。貴方はこのことについてどう反応しますか。

ゴダール:私はそこにいたわけではないのでよくわかりませんが、私としては私の映画を観るのに席を争ったというのあれば、お金を払って観てもらいたいと思います。それはキルギス映画も同様です。それ以上は私にはよくわかりませんし、コメントはありません。

ジャーナリスト3:カンヌ映画祭オフィシャル・ホーム・ページにきた質問を二つ選びました。一つ目は先程の質問と関連しますが、より幅広い意味で貴方にとってインターネットとは何でしょうか。もう一つの質問は50年前から映画を撮っていますが、その間に多くのことが映画の世界で変化したと思います。貴方にとって、この50年の映画の進化の中で、最もポジティブなこと、最もネガティブなことは何ですか。

ゴダール:パテ、ゴーモンといったフランス人によって映画という商売が発明されて以来、製作と配給の関係が大きく変化しました。それはアメリカ人、スタジオと呼ばれるシステムによって50年〜55年まで続きます。その後、テレビが誕生します。ブラウン管を発明したのはドイツ人のツォーキンという人で、それをイコノスコープと名づけました。テレビには“イコン(象徴)"という言葉が使用されていたのです。映画にはスコープという言葉が使われ、イコンという言葉は使われませんでした。そしてこのテレビの宗教的な大衆的な面が大きく物事を変えたのです。
私が持っている映画的知識では、映画を製作することと、映画を配給することは全く違うものでした。しかし、製作されたものは配給されなくなってしまいました。ジャン・ヴィゴの時代も私の時代と同じくらい映画を製作することは難しかったのです。ヒットする映画というのはマーケットで成功している映画です。
今では、テレビで放映するための映画しか製作されていません。劇場配給はテレビの放映の付属にしかすぎません。テレビは何も製作しません。テレビは放映の様々な可能性を生み出すだけです。テレビカメラはすぐに放映してしまいます。テレビは映像をただ放映するだけで、生み出すことはありません。インターネットに関しては、私はインターネットを使用していないのでお答えできません。

司会:今回のカンヌ映画祭ではコンペに参加していらっしゃいますが、コンペ外招待でもカンヌにいらしていましたか。それとも全く来ないということも考えられましたか。

ゴダール:それは私が決定することではありません。出来上がった作品を映画祭(事務局)に見せ、映画祭側が右に行け、左に行けと指示するのです。監督週間や映画祭外のセクションでロメール、リヴェット、私、ロジエの4作品を上映するのほうが良かったのではないかと思います。
ユートピックな考えですが、その後各々の作品が自分の場所を見つけることができるでしょう。いずれにせよ、映画祭に関してはティエリー・フレモー(アーティステック・ディレクター)とジル・ジャコブ(プレジデント)がこっちに行け、あっちに行けと決めるわけで、我々が何かを決定するわけではありません。

司会:では何も言うことはないのですね。

ゴダール:全くありません。何かコメントしたいとも思いません。王様や王子様にこちらに来るようにと訊き、何かお持ちですか、そこで2,3度ぐるぐる回ってくださいと尋ねます。こちらは、イエスと答え、これがあります、ご覧になりますかと提案します。そうすると、向こうが「じゃあ、5月15日の午後5時に上映していいですよ」と言うのです。

ジャーナリスト4:現在の映画における暴力というのは行き過ぎだと思われますか。

ゴダール:そうです、それは熟考の欠いた暴力です。我々にも責任の一端があります。カイエ・デュ・シネマの初期、ヌーヴェル・ヴァーグの頃、我々は演出家というのは小説家と同じレベルの完結する「作家」であると定義しました。それ以前は物語を書いていても脚本家でしかなく、ボーマルシェの時代には役者にしかすぎませんでした。我々は作家性というものを擁護しました。ルノーは今日最も大きな車の製造会社名ですが、元々は車のクリエーターでした。私も今では自分のことを映画のクリエーターとは呼べないでしょう。ここまで来たのもルノー社のラグ-ナ(高級車)でした。

ジャーナリスト5:貴方の作品はとても好きです。ベルグラードから帰ってきたばかりなのですが、貴方の作品の中でコソボのことが言及され、アルバニア人の移民のことが語られています。時と共に様々なことが変化します。貴方も同じ様にアプローチをしているのですか。また、第2部で引用された聖アウグスティヌスの文章がとても美しかったのですか、全て覚えていないので、もう一度引用していただけますか。

ゴダール:「愛の尺度というのは、尺度なく愛することです。」聖アウグスティヌスの言葉に真実に関する私の好きな言葉があります。「人は余りに真実が好きなので、嘘をつく人もそれが真実であって欲しい願う。」

司会:コソボに関する質問もありましたが、現在のコソボの状況をどうお考えになりますか。

ゴダール:私は早くから政治的、社会的に重要な出来事を恣意的に語らなければならないと思いながら映画をつくりました。アルジェリア戦争の時にはアルジェリアのことを描きました。戦争のことに精通していたわけではないのですが、ベトナム戦争の時もベトナムを描きました。
その後、この習慣を持ち続けていて、この映画を撮影していた時はコソボで戦争が起きていました。ボスニアで終わる内容の映画を撮り終え(『Forever Morzart』)、状況は変化し、5年後、今度はコソボで戦争が起きていました。そこで何か発言しなければならないと思いました。セルビア人の言説とコソボ住民の言説にバランスがとれるよう注意しました。勿論個人的にはコソボ住民の言説に肩入れはしているのですが。そしてこの言説をアメリカ人によって話させました。というのも、この作品の他の部分で彼らのことを悪く描いているので。
現地の状況というのは私にはわかりません。アンヌ=マリ・ミエヴィルとベルグラードに招待されましたが、コソボまで行く勇気はありませんでした。このことに関して何か言える立場ではありません。クストリッツァの悪口を言うだけのためにベルグラードまで行くつもりもありませんでした。

ジャーナリスト6:スティーブン・スピルバーグと貴方の間にはどのような問題があるのですか。貴方は映画の中でスピルバーグの名を登場させていて、出演料(引用料)を払っていないので、彼は貴方を訴えると思いますか。

ゴダール:ル・モンド紙に書いてあったことですか。これはセシルが演じた役柄が言っていることで、私はスピルバーグのことを個人的には知りません。彼の作品も素晴らしいとは思いません。
スピルバーグという名は、ある種の映画作りを象徴する名前です。彼がアウシュヴィッツを再構築したと思い込んだ時、やはりこれはきちんと弾劾するべきだと思いました。私はそのようなことをしないクロード・ランズマンの世界の方に共感します。天井から水が放出するようにガス室を加工するなどもっての他です。芸術家/作家として、このような状況を無視することはできません。奇妙なことです。
彼はアイデアがないので、他の場所にアイデアを探しに行くのです。我々はアイデアがない時には、まず自分たちを見つめます。これが私の考えです。

司会:いつも貴方の作品の中で驚かされることは、登場人物達が映画、音楽、ブレッソンの文章を引用することです。このようなことは現在の映画では大変貴重で珍しいことです。様々なモノ、要素、人物、作家、作曲家、映画を貴方は多用に引用します。

ゴダール:文章、小説、絵画、景色の端々。我々が気に入った風景を撮影する際、それは既にある意味での引用です。どの木、どの家、どの大通りを選ぶか。もうパリには住んでいないので、パリの通りを車が通りすぎるショットを撮るだけでも、ただィさんが彼女を家まで送るというショットにはなりません。大通りにもその価値を見出さなければなりません。
画家が絵を描くように私は撮影します。言葉に関しても、私は深く何かを読むということはしませんが、突然ある文章が私に語りかけ、熟考へと導きます。覚えていればそれをメモし、後でノートを見て、その中で2、3の言葉が後々使えたりします。スポーツの訓練と一緒で、地道にこのように集めていたものが、後で役に立つのです。音楽も全て覚えているわけではありません。一部分だけを覚えていて、それを聞きたくなった時にまた聞くのです。文章も同様です。ロランも言っています。「我々は皆いい加減だ。だから様々な問題を回避し生き延びている。」これは毎朝我々が鏡で自分の顔を見ながら言える言葉ではないでしょうか。
哲学の勉強をした後、映画作家になったり、小説家になったり、ロランもそうですが、他人の言葉であってもそれが意味を持つのです。私は自分に何かをもたらしてくれた作家に対して敬意を持って引用しているつもりです。

ジャーナリスト7:スピルバーグのどこが嫌いなのですか。もう少し詳しく説明してください。

司会:彼自身ですか、彼の作品に関してですか。

ゴダール:彼自身のことは知りません。最近の映画は長いので、映画を観てコメントするのは好きではありません。もし彼の映画について私にコメントして欲しいのであれば、私にお金を払い、試写室を借り、スピルバーグの作品のプリントを用意してください。そうすれば作品を観ながらコメントします。一時停止をしたり、早送り、巻戻しのできる映写機を備えた試写室が必要です。こういった環境が整えば、話すことができます。少なくとも試みることはできます。
さもなければ、映画のコメントはもうしたくありません。カイエ・デュ・シネマの初期、私もまた批評家でした。現在多くの映画が監督、女性監督によってつくられています。例えばこのヴィッテル(水)の瓶を撮るとします。キャメラをセッティングし、フィルムを回します。キャメラが映像を録画するので、彼らにとってはヴィッテルの瓶が撮影できたことになってしまいます。しかしながら、セザンヌがリンゴを描いた時、このように描いたわけではありません。このことを説明するのは容易なことではないのですが、彼はリンゴを受け取っていたのです。
キャメラのレンズはモノに向かって行くのではなく、モノを受け取るために作られています。テレビによって色々なことが変化しました。先程もお話した通りです。今日の監督はキャメラの後ろにいて、見ているか、見ていないかはともかくとして、何かを送っています。何かを受け取ることによって始めません。自分が考えていること、自分が書いたことを送ることから始めています。いわゆるキャメラの根本的な機能が消滅してしまったのです。
送るのは映写機の機能で、キャメラの機能ではありません。キャメラは受け取るべきなのです。だから、リュミエール兄弟も二人いて、まずは映写機を発明し(オーギュスト)、もう一人が映写機を使うためにはキャメラを作らなければならないと言ったのです。
私は自分の作品の中で、批評家として、哲学者として、映画監督として色々なことを思考しているわけです。今回の作品の第一部を35ミリのキャメラで撮影しました。このキャメラは100年前からほぼ変わっていないものです。第二部はキャメラ無しで撮ったと言ってもいいでしょう。あの適当に撮れる小さなキャメラ(デジカメ)です。あの適当に作られたキャメラを使って、価値のある映像を生み出そうとしました。キャメラと鉛筆を比較してみると、私は映画監督なので絵は描けませんが、絵を描こうとしてみると、私の鉛筆はそんな風に絵を描いてはいけないと、私に対してレジスタンス(抵抗)をするでしょう。キャメラも同様です。
人は皆絵を描けると思っています。4分の3くらいの人はそう思っているでしょう。これは全てが隠されているがために生まれた変化です。テレビにはこのような問題がありません。全てが生で放映されるからです。中継される場合には何らかの理由があります。テレビはただ放映するだけで、クリエートすることはありません。サッカーの中継はクリエートされるわけではなく、放映されるだけです。私の答えが長くなってしまいすいません。

ジャーナリスト8:メキシコとカナダの間にある国(合衆国)の人達は、貴方の映画にどうのような反応を示すとお思いですか。

ゴダール:彼らはこの作品を観る機会はまずないでしょう。もしかしたら小さい映画館でかかることがあるかもしれません。それは海外セールスを担当している者に訊いてみないとわかりません。まだ合衆国には売れていないようです。このことに関しては全くわかりません。

ジャーナリスト9:『ウィークエンド』以降、貴方の作品では説話的物語というのは細分化されています。今回の作品も説話的物語はこの例に則っていますが、大変感動的でした。何故でしょうか。もう一つ、映像における構築と脱構築について話していただけますか。これは編集の段階で行われるのでしょうか。実際的なお答えをお願いします。

ゴダール:正確さを必要とすることなので、大変退屈な話になるのでここでは説明できません。歴史的事象のように記憶を辿るとなると、このショットがいかに撮影され、編集されたかということは、出来るだけ思考するようにしています。メモを取らずに思考し、サラダが十分に混ざったかなというところでメモを取るようにしています。
私は5、6人という最低限のスタッフに囲まれて仕事をしており、何をしていいかわからない時、しばしばモーツァルトをかけました。何をすればいいかわかっている時には、それをすぐに伝えます。キャメラをそこに置いて、君はあそこにと指示を出します。位置が決まると、私はそれを監督します。ショットの作り方(構図の決め方)はいたってクラシックな方法をとっています。何をしていいかわからない時、ジョン・フォードのメソッドを思い出します。彼は準備に一時間もかかる構図を用意しろと指示し、その間にゆっくり思考していました。子供達(スタッフ)は取り合えず手持ち無沙汰にはなりません。思考的には画家や小説家の構築の仕方に近いと思っています。
小説家にも構築プランをつくる人とつくらない人がいて、トルストイは次のように言っています。彼は「アンナ・カリーナ」、いや違った(笑)、「アンナ・カレーニナ」を書き終えることが出来ず、彼の出版社はいつ仕上がるのかと催促しました。トルストイは言いました「可愛そうに、アンナは行ってしまったよ。彼女が戻ってきたら、残りのページを送るから」と。

ジャーナリスト10:プレス・ブックに監督のインタビューが掲載されており、そこには「既になされてしまったことは、もう一度繰り返してやるのは意味がない」とおっしゃっていますが、自分自身をリピートしているとはお思いになりませんか。

ゴダール:そうだと思いますが、そういうことは数年経ってから気付くものです。舞台の演出をやりたいとかねがね思っていて、オファーもあり、演出だけでもと言われたのですか、自分で演劇の演出はできないと思っています。ブレヒト、マリヴォー、シェイクスピア等の素晴らしいテキストは私が手を加える必要はありません。衣装担当がいて、私が衣装のことを考える必要もなく、誰かが照明を担当してくれるので私がやる必要もなく、舞台があるのでロケハンをする必要もありません。そうするとじゃあ自分は何をしたらいいのかということになります。
今思いついたことですか、私にとって気になることは、シェイクスピアはもう何千回も舞台化されているということです。勿論、ある演出家は素晴らしい演出、ある演出家はつまらない演出をしていますが、例えばラサールが演出した舞台を続けて2回観ても、それは大変素晴らしいと思えるでしょうが、ただ自分で3度同じものを演出できるかというとそれは出来ません。エクリチュールに関しても、シェイクスピアの書いたものを私が演出することに何の意味があるのでしょうか。

ジャーナリスト11:サンタヤナが「歴史を忘れる者は再び同じことを繰り返す」と言っていますが、ある意味、歴史が繰り返されることは人類にとって楽なことでもあります。映画及び貴方の映画が我々の社会的歴史と、感情的歴史をいかに記録してきたかについて話してください。

ゴダール:質問の意味がよくわかりません。全体的に言えば、映画というのは我々の歴史にとって何も役に立ってきませんでした。時には物事を考えたり、人を愛する上で役に立ったかもしれません。
画家が絵画の分野に於いてしたことは、絵画がモノの見方を進歩させたということです。ルネッサンス期の遠近法、印象派によるモノの見方等があります。しかしながら、映画はすごいスピードで進歩してしまったので、といっても50年というのは大した年月ではないのですが、あっという間にテレビという媒体を得てしまいました。我々が自分達に起きたことを理解できないのであれば、我々にも歴史にも責任があります。
映画というものは大画面で上映されるべき芸術形態だったのですが、そこでは大した成功を収めることができなかったために、すぐカリフォルニアの傘下に入ってしまい、市場に束縛されるようになってしまいました。これは我々にも責任の一端があるのです。何故なら、つまらないキルギス映画とつまらないブルース・ウィルスの映画だったら、私でも後者を選んでしまうでしょう。それは何故かはわかりません。この会場にいる良質なアメリカ人に感謝します。彼らしか質問をしないようなので。

司会:他の人達は恐れ多くて質問できないのですよ。

ジャーナリスト12:貴方の作品は映画の過去に於ける、甘美なメランコリーと映画の死を描いていますが、映画のアフター・ライフというのはあるのでしょうか。

ゴダール:映画の人生ですか?アンドレ・バザン、アンリ・ラングロワ、トリュフォー、私も多少、最後はセルジュ・ダネーといったフランス人達が特に映画をそのように考察したわけです。
私が初めてカンヌ映画祭に来たのはジャック・ロジエと一緒で1950年、51年のことでした。背中にリールをしょった若いアメリカ人がいて、名前を聞いてみるとそれはジャック・ニコルソンでした。モンテ・ヘルマンの作品を上映室まで運んでいるところでした。このようなカンヌはもう存在しません。
そういう意味で幼少期を想うように、自分の関わった映画史をノスタルジックに想う気持ちはあります。あのイラン人の女の子の撮った1本目、2本目の作品、ミルヴァイエフの1本目、2本目の映画、監督週間で上映されたアラン・ゲルディの「Du soleil pour l'egout」、これは恐らくこの映画祭で上映された最も素晴らしい作品です。ただ配給の仕方が大きく変化したのです。私であろうと、あのイラン人の女の子、名前を覚えられないのですが(司会:サミラ・マフマルバフですね)も同じです。例えば、アラン・ゲルディの初監督作品「Du soleil pour l'egout」がパリで400人しか動員できず、『アメリ』は言うまでもなく、『マドモワゼル』(フィリップ・リオレ監督)などという作品が40万人も動員してしまう、どうしてこのような大きな違いが出るのでしょうか。このアラン・ゲルディの作品は自分が初めてジャン・ヴィゴの作品を観た時のような感動を受けました。このように自分に多くのことをもたらせてくれた作家は今後も見守っていきたいと思います。
彼にとって難しいのは配給です。プリントを持ってフランス全土を回ったら、彼は頭がおかしくなってしまうでしょう。それぞれの町で一日40人位の観客を得ることができれば、何とか生きていけるでしょうが、 こんなことをしたら4、5年はかかってしまい、それは長過ぎます。このような小さな作品が生き残るシステムは消滅してしまったのです。

司会:今年はカイエ・デュ・シネマの50周年記念で、貴方は以前この雑誌に批評を書いていましたが、今の話を聞いていてまた新たに筆をとり、今では誰も言わなくなったことを言ってみたいと思われたことはないのですか。

ゴダール:是非そうしてみたいのですが、魚は二度同じ川で泳ぐことはありません。他人の悪口をいうことが怖くなってしまいました。
若い頃は人を攻撃していたのでなく、作品のことを語っていました。トリュフォーも一度だけしか他人の悪口を言ったことがありません。それはフランス・ソワール紙のロベール・シャザルに関してです。シャザルの写真を載せ、このような顔をしている人はいい批評が書けるわけがないとこき下ろしました。それがたった一度だけです。その後、シャザルは自分の顔写真を変えたようです。

ジャーナリスト13:先程アメリカ人がこの映画を見られる可能性はほとんどないとおっしゃいましたが。

ゴダール:いいえ、少ししか可能性がないと言ったのです。

ジャーナリスト14:もしアメリカのスタジオから、貴方にリメイクをしないかとオファーが来たらどうしますか。

ゴダール:もう何度もオファーが来ていますが、一度も上手くいった試しがありません。私も(可能性を)信じたことがありますし、一度はそこに住んだこともあります。Mulholland Drive(デヴィッド・リンチの新作のタイトルで、アラン・サルドが製作。ハリウッドの通りの名前)に住んでいました。20、30年前でも上手くいかなかったのです。

ジャーナリスト15:貴方の映画作りに於いて何が一番変化しましたか。映画的言語に対するアプローチですか。

ゴダール:何に対するアプローチですか?自分のことがよくわかるようになったということでしょう。
私にとって映画が1時間以上越えるというのは大変難しく、映画が2時間半、3時間も続くというのは信じられないことです。本当だったら1時間半から1時間45分にしなければならないところを、私の映画は1時間になってしまうので、いつも1時間半まで穴埋めすることになります。最近では出来るだけ初めから1時間の作品をつくるようにしています。
今回の作品も穴が空いているのですが、ちょうどいいところで穴が空いたので、第1部、第2部という構成にしました。

ジャーナリスト16:カンヌ映画祭の何を懸念しますか。

ゴダール:何も懸念しません。

ジャーナリスト16:もし何か賞をもらったら、どう発言しますか。

ゴダール:そんなことは全く考えていません。この作品は賞を取るために作られたわけではありません。観客と出会うためにつくられたのであって、ここはその出会いの場です。アラン・サルド、ルートのおかげで、私の次回作「Notre musique」に興味を持ってくれる人に2、3人出会えればいいと思います。私はアンヌ=マリ・ミエヴィルと会社をやっているので、彼女の次回作「Dreams work」の資金集めもできればいいのですが。

ジャーナリスト17:一観客として今朝この作品を拝見し、何故か理由はわかりませんが、目が涙で一杯になり、大変心を打たれました。また笑いもしました。登場人物、役者達は誰も笑ってはいませんでしたが、ユーモアにあふれた作品です。この作品は笑いを追悼しているのでしょうか。

ゴダール:そこまで解釈してはいけません。もし貴方がこの作品を観て感動したのであれば、その理由は自分で考えてください。何によって心を打たれたのか、それは貴方の問題です。この作品と貴方、貴方の人生との関係は私には説明できません。
顔に書かれていなくても、この作品には多くのユーモアとアイロニーが散りばめられています。我々が普通ならば信じられないことに細心の注意を払いました。この作品があるムッシューとあるマドモワゼルのカリフォルニア風ラブ・ストーリーでないからといって、皆さんががっかりしないことを願います。

ジャーナリスト18:先程配給に関してお話いただきましたが、今の若い監督というのは貴方を尊敬しており、貴方をモデルとして敬っていて、貴方が若い頃に確立した映画作りの原則を実行しようとしています。今日のいわゆるヒットした映画を観ると、それは芸術的な意味では成功しているとは限りません。彼らは貴方が確立した原則をちゃんと理解していないからでしょうか。

ゴダール:常に例外があります。3、4年前にアキ・カウリスマキの『浮雲』という作品があり、大変演劇的な、作りこまれた、映画的な素晴らしい作品でした。難しい作品でしたが、フランスで20万〜25万人動員しました。
テレンス・ディヴィスの初監督作品「Distance voices still live」も優れた作品でしたが、私の理論からしてみれば当たる作品ではなかったのですが、商業的な成功を収めました。こういうこともあるのです。

ジャーナリスト19:質問が二つあります。エドガーは貴方自身でしょうか。フィリップがエドガーのことを「大人になろうとしている人物」と評していますが、貴方自身は自分が大人である、またはまだ子供だと思いますか。映画作家、哲学者として今フランスで流行っているテレビ番組「ロフト・ストーリー」をどう思われますか。

ゴダール:「ロフト・ストーリー」に関して何も見ていないのでコメントはできません。
エドガーは私の分身ではありません。私自身大人になるのは大変遅かったと思います。70歳でやっと大人になれたのではないでしょうか。映画年齢で言うと、私は初監督作品を撮ったのは30歳の時でしたので、本当はオーソン・ウェルズのように25歳で撮りたかったのですが、5年余計にかかってしまいました。ですから30歳の時、映画年齢は1歳で、実年齢と映画年齢が釣り合うまで、30〜40年かかりました。現在映画年齢は40歳なので大人であると言えるでしょう。実年齢は70歳ですが。